この数年、シルクロードの旅が続いた。シルクロードと言えば、中国の西安、かっての長安が旅の始まりだ。ルートは、天山北路、天山南路、西域南道に分かれて西へ向かう。
被写体の宝庫
その大舞台となる新彊ウイグル自治区こそが、われわれの思い描くシルクロードそのものの世界である。タクラマカン砂漠やポプラ並木を行くロバ車、といったフォトジェニックな風景が展開するのだ。
やがてルートはカシュガルで合流して世界各地へと分かれて行く。2年前、僕はカシュガルからパキスタンとの国境クンジュラブ峠を越えてカシミール地方フンザ、ペシャワールへと旅をした。
未知の炎熱地獄に遭遇
途中、ガンダーラのタフティ・バーイー遺跡に立ち寄った時、気温が摂氏56度にも達し、炎熱地獄の中での撮影となった。むき出しのあらゆる金属が触ると火傷をおいかねるほどに高温となる。肩から吊るしたカメラでさえそうだ。とにかく暑くてフィルムが心配になるほどだ。それでもきちっと撮れていたのだから、カメラがいいのか腕がいいのか?
撮影の後、近くの町で西瓜売りを見つけて買い食いをした。冷たくって、みずみずしくってとても美味しかった…と言いたいところだが、そんなことはなく、まるで西瓜の煮物のようだった。
懐かしささえ感じる名
シルクロードを巡ってはさまざまな国を旅したのだが シルクロードという名はいまや世界共通語である。
旅の終わりに立ち寄ったペシャワールで、シルクロードを北へ向かうバスを見た。行き先には「シルクルート」と記されていて、遠ざかるそのバスに旅の道々を思い出し、懐かしさがこみ上げてきた。
さ と う ひ で あ き
1943年、新潟県生まれ。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、フリーのカメラマンとなる。
60年代はニューヨークに暮らし、その後、70年代、80年代にかけてはサーフィンを被写体の中心にすえる。
その時に培った自然観をベースに、北極、アラスカ、アフリカ、チベット、南洋諸島など、世界中の辺境を旅し、自然と人間、文化を独特の視野で撮り続け、数多くの作品を発表している。
最近は日本にも目を向け、日本人の心の中に淀んでいる思いのようなものを表現することに精力を注いでいる。主著は「北極 Hokkyoku」「地球極限の町」「口笛と辺境」など多数。「彼は海へ向かう」「西蔵回廊」「伝説のハワイ」など共著も数多い。
日本写真家協会会員