僕は時々とりつかれたように辺境へ出かけてゆく。そんな旅が始まったのは30年以上も前からだ。
ニューヨークという大都会で暮していたので、どこか遠い辺境の地への憧れを常に抱いていた。世界地図を眺めながら、どこか撮る場所を探す毎日がしばらく続いたことを覚えている。カメラのファインダーにうまく納まってくれる場所はどこだろう?時が経てば経つほど潮が満ちてくるように気持ちが高まる。
被写体を求め辺境へ
パキスタンとアフガニスタンの国境地帯へ行って見ようかな。その一帯に住むパシュトゥーン人の新聞記事を読んだ時、即座にそう決めたのである。その頃のアフガニスタンはソ連が侵攻してくる前の平和な砂漠の国だった。国境を行き来する人たちに国境は存在していないような、そんなゆったりとした空気と息づかいの中で、僕の沸きあがるような写欲は国境の撮影禁止の看板も目に入らなかった。
また、ペシャワールの信じられない雑踏からは秩序を見つけ出すこともできなかったが、何か不思議な感覚にとらわれて、フィルムの消費は信じられない速さで進んだ。その時撮った写真はある男性誌で10ページほどの特集を組むことができたのだが、それから30年を経て後、僕は再びペシャワールの街中に立つ機会を得た。
30年ぶりのペシャワール
シルクロードの取材でペシャワールに行くことになったのである。30年間、世界が大きく変化している中で、ペシャワールの街並は昔のままだった。その悠々とした佇まいに、僕は路地から路地をさまよい歩いた昔の自分に出会えたような気がした。変化したものと言えば、爆発的に増えたアフガニスタンからの難民の数と戦争でちょっぴりすさんだ人々の心だった。
30年前に使ったペンタックスSPは今手元にはないが、先日使ったMZ-Sと比較しながら巡る歳月に思いを馳せた。
さ と う ひ で あ き
1943年、新潟県生まれ。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、フリーのカメラマンとなる。
60年代はニューヨークに暮らし、その後、70年代、80年代にかけてはサーフィンを被写体の中心にすえる。
その時に培った自然観をベースに、北極、アラスカ、アフリカ、チベット、南洋諸島など、世界中の辺境を旅し、自然と人間、文化を独特の視野で撮り続け、数多くの作品を発表している。
最近は日本にも目を向け、日本人の心の中に淀んでいる思いのようなものを表現することに精力を注いでいる。主著は「北極 Hokkyoku」「地球極限の町」「口笛と辺境」など多数。「彼は海へ向かう」「西蔵回廊」「伝説のハワイ」など共著も数多い。
日本写真家協会会員