オーストラリア大陸の中央を空から眺めると、カラカラに乾いた赤い大地が果てしなく、うんざりするほど広がっている。
とにかく広大な赤い土地
この大陸の人口密度は1km²あたり2人以下。住民のほとんどが海岸線に沿って住んでいるので、赤い大地には上空から見ても人の気配すら見出せない。
内陸最大の都市アリススプリングスでさえ、街から一歩外に出ると赤い沈黙の砂漠だ。
ちょっと近くの家まで出かけて行くにしても、100km、200kmと離れているので、外出も命がけである。なぜなら夏の気温が50度以上にもなってしまうからだ。
しかし、シンプソン砂漠やエアーズロックなどの空撮は、都会にいては計りしれないほどの快感を味わうことができる。ワイドオープンスペイシーズという言葉通りのまさに果てしない赤い大地の広がりである。
うっとり見とれてしまって撮影を忘れそうになるのだ。ただ、ただ、この国のバカデカさに見とれるばかりだ。
人を拒む土地と人々
そんな土地にやってくる旅行者はジェット機だけとは限らない。頑健な四輪駆動車で中央を目差す人もいる。
南部の都市からアリススプリングスにやって来るそんな車のルーフには、予備のタイヤや水タンクがうず高く積み込まれていて、砂漠を突っ切るタフな旅を終えた安堵感がどのドライバーの顔にも滲み出ている。
20年ほど前。当時はまだ小さかったアリススプリングスの飛行場から軽飛行機で空撮に飛び立った時の話だが、軽飛行機が動き出した時、柵の外から僕に手を振っている美しい女性がいた。僕も彼女に手を振り返したのだが、パイロットは、あれは手を振っているのではなく、目の前のハエを追っているのだと言って笑った。
その夜、僕はホテルでビールのグラスを傾けながら星空を見た。今まで見たことのないような美しい星空だった。
さ と う ひ で あ き
1943年、新潟県生まれ。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、フリーのカメラマンとなる。
60年代はニューヨークに暮らし、その後、70年代、80年代にかけてはサーフィンを被写体の中心にすえる。
その時に培った自然観をベースに、北極、アラスカ、アフリカ、チベット、南洋諸島など、世界中の辺境を旅し、自然と人間、文化を独特の視野で撮り続け、数多くの作品を発表している。
最近は日本にも目を向け、日本人の心の中に淀んでいる思いのようなものを表現することに精力を注いでいる。主著は「北極 Hokkyoku」「地球極限の町」「口笛と辺境」など多数。「彼は海へ向かう」「西蔵回廊」「伝説のハワイ」など共著も数多い。
日本写真家協会会員