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カメラは地球を巡る
未来を見据えるかのように整然と立ち並ぶ石像群
vol.9 モアイの島 佐藤秀明
しっかりと見開いた石像の目。一部の石像からは当時の姿が偲ばれる
海に向かいたたずむ石像たち
ウム料理の宴を前に祈りを捧げる

イースター島といえばモアイ像。何故、あのような石像があるのか、一時は世界の七不思議のひとつに数えられたりしたが、ポリネシア人が石で偶像を作る文化を持ち込んだ、というのが定説になっている。

ポリネシア文化の
片鱗として存在

確かに、イースター島に最も早くやって来たのはポリネシア人だ。現在はチリ領になっていて、南米からやって来た人たちも多数住みついている。しかし少数ながら、ポリネシア人が彼らのアイデンティティを守りながら生活していることも事実である。

島の人たちの生活を見ると、豚を蒸し焼きにするウム料理などはポリネシアの伝統料理である。また、遠く隔れたタヒチからのラジオ放送を聞いて理解できる人もいるくらいだ。

もともと、イースター島に住み着いたポリネシア人は自分たちをラパヌイ(東から来た人々)と呼んでいた。東とはマルケサスやタヒチを指すのだ。マルケサスには古くから石の偶像を崇める習慣があったらしく、それがイースター島に持ち込まれたらしい。

戦争と自然破壊によって
石像も姿を消すことに

ところがイースター島の各地に集落が形成されてゆくと偶像(モアイ)の作り比べのようなことが突然始まったらしい。そして次に起ったのが戦争である。勝者は敗者のモアイ像を片っ端から倒してしまう。だから倒れているモアイ像が多いのである。

かつて島を覆っていたヤシの木は、島の中央で作られたモアイ像を集落へと運ぶコロに使われて全滅してしまったとか。イースター島からヤシの木が姿を消すと同時にモアイ作りの歴史も幕を閉じることになったと言われている。

さ と う  ひ で あ き

1943年、新潟県生まれ。日本大学芸術学部写真学科を卒業後、フリーのカメラマンとなる。

60年代はニューヨークに暮らし、その後、70年代、80年代にかけてはサーフィンを被写体の中心にすえる。

その時に培った自然観をベースに、北極、アラスカ、アフリカ、チベット、南洋諸島など、世界中の辺境を旅し、自然と人間、文化を独特の視野で撮り続け、数多くの作品を発表している。

最近は日本にも目を向け、日本人の心の中に淀んでいる思いのようなものを表現することに精力を注いでいる。主著は「北極 Hokkyoku」「地球極限の町」「口笛と辺境」など多数。「彼は海へ向かう」「西蔵回廊」「伝説のハワイ」など共著も数多い。

日本写真家協会会員

モアイを見守るポリネシアの末裔
イースター島は人間の島でもある
『カメラは地球を巡る』
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