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K-3 Mark III Impressions

新納 翔

普段中判の645Zで撮影している目線からK-3 Mark IIIで撮影し、どのように感じたかを軸にレビューする。機材を預かってから、作例というよりあくまで今まで撮影してきている都市風景の延長の作品として、どのような新しいものが撮れるかを自分のテーマとして撮影した。

自分の撮影スタンスは一日3時間ほどカメラを持って、都心から湾岸地区までのどこかを歩き200カットほど撮影。執筆時点でも約20日ほど撮影に出たので、それなりに自分としてレビューするに十分なカットは使ったと自負している。

smc PENTAX-DA 50mmF1.8 F6.3、1/800秒、-0.3EV、ISO100

普段中判で撮影している視線からAPS-Cサイズを考える。

前々から「フルサイズ」というものに違和感を抱いていたのが本機でもってその答えがはっきりしたように思う。画質を取るのであれば中判もしくはそれ以上のカメラがいいし、中判からステップダウンさせて機動性を取るのであれば、フルサイズではなくAPS-Cがいいのではと思っていた。中判メインの自分からはAPS-Cは丁度いい。

中判はそのスタイルから作品を意識し、撮影中コンセプトやら色々考えてしまう。久々にAPS-Cを使って、開放的に、かつ自然に街に溶け込んで「身体で撮る」感覚を思い出した。どちらがいいということではなく、凝り固まった見方をほぐしてくれるという意味で共存できる相棒という感じ。今回のレビューはこれにつきるのだが、久々にそれこそ5年ぶりくらいに写真を撮ることが楽しく思えた。そんな気持ちにさせてくれたこのカメラには感謝したい。

smc PENTAX-FA 31mmF1.8AL Limited F6.3、1/500秒、-0.7EV、ISO100

APS-Cが持っていた問題は、ファインダーの狭さ、画質の問題である。大口径レンズをつければ開放から実用的な画質でボケてくれるし、ストリート写真なんかはある程度のボケがちょうどいい。おそらく銀塩時代は開放値が明るくても実用的な画質は2段ほど絞る必要があったので、フルサイズの方がボケを活かすにはいいとされていた所もあるのだと思う。現在のデジタル設計レンズを使えば、十分なボケ量を得られるわけで、機材のスマート化という点でも歩がある。

K-3 Mark IIIの広いファインダー、従来のフルサイズ機並みの良質な画像が出る以上、もうフルサイズという概念から開放されていいのではないか、そんな気がする。

実際645Zと一緒に撮影に持っていったことがあるのだが、645Zを覗いてから同じ景色をK-3 Mark IIIで覗いたらどれくらい狭くかんじるのだろうと実験してみたら、予想外にあまり変わらない印象をうけたことに驚いた。645Zのほうが広々しているのは間違いない事実ではあるが、バランスがいいのか狭さを感じなかったことは自分でも驚きだ。


K-3 Mark IIIについての感想(良いと思ったところ)

ファインダーがもはやAPS-Cではない、それに加え出てくるRAWデータの質が実にいいのでもはやAPS-Cを手にしている気がしない。もはやフルサイズとかミラーレスとか既存のカテゴリではなく、K-3 Mark IIIという新しいフォーマットだと言ってもいいのではないか。これを機にもっと自由なデジタルカメラのフォーマット、設計があってもいいのだと思う。銀塩の常識にとらわれる必要性はない。

smc PENTAX-DA 50mmF1.8 F5.0、1/1600秒、-0.3EV、ISO100
smc PENTAX-DA 50mmF1.8 F6.3、1/640秒、-0.3EV、ISO100

RAWデータは解像度と階調性、特にシャドー部の沈み方が秀逸。APS-Cでは難しい、ハイライトの粘りがある。レタッチの仕事をしている関係で色々なカメラのデータを触るが、Photoshopで展開してイジっているとフルサイズのデータをイジっている感覚になる。さすがに中判とまでは言えないが、これは特筆すべきこと。

実際にデジタルラボPapyrusにてB0ノビで印刷してみたところ、鑑賞距離ではまったく問題のない描写、さらに近づいてみてもデータの破綻は見られず、かなり上質な感じであった。通常このサイズに伸ばすのであればRAWから展開した時に2倍に拡大するので、もう少し綺麗にでるかもしれない。今回はあくまで素のデータでのプリントを見たかったのでそうした処理はしていない。

ISO100での撮影を多くしたが、SRが静かすぎるのか、どこで効いているのかわからないがとにかくスローシャッターでもブレずに撮影できることが多かった。50mmなら1/10でも問題なく切れる。ジーと鳴るレンズ内手ぶれ補正に慣れていたので、静音性のせいか本当にSRがオンになっているのか不安になるくらいだった。

背面液晶が本当に綺麗で、これは数値以上に綺麗に感じた。繊細というか、今まで使ったカメラの中で軍を抜いて綺麗な表示だ。

ファインダーに関して、35ミリ判換算75mm相当となるsmc PENTAX-DA 50mmF1.8をつけるとLeica M3のように両目を開けていても違和感なく景色を見ることができるので、レンジファインダー的要素を感じている。このカメラに50mmのレンズをつけてスナップする人は少ないだろうが。DA 50mmF1.8をつければ爽快なカメラになるし、ちょっと重いレンズをつけるとじっくり被写体と対峙しようとなる、いわばカメレオンのようなカメラだ。

smc PENTAX-DA 50mmF1.8 F6.3、1/800秒、-0.3EV、ISO100

シャッター音がいいのは撮影のリズムを崩さないという点で重要。街に溶け込む音で気に入っている。またブラックアウトが少ないのでよりOVFの魅力が活きている。初めは使わないと思っていたファインダー内に表示される水準器が便利。なんだかミラーレスのいいとこ取りをしている感じがし、一眼レフとミラーレスのあいのこのような印象というのが、言葉が変だけど素直なところ。AFが難なところが解消されれば仕事でも投入できるカメラだ。仕事でSONYを使っているが、光学ファインダーでここまで快適に撮影できるのであればSONYを売ってシステムの組み換えを本気で検討しだしてしまっている自分がいる・・・。

スマートファンクションボタンも初めは不必要だと感じたが、ISO感度に振り当てて使ってみると無意識にかなりいじっている。ファインダーから目を離すことなく露出設定、水平の調整がスムーズにできるのはボタン配置のおかげなのだろう。水平を出すのが苦手だったが、後処理で修正しなくてもビシッと決まることが多くなった。スマートファンクションボタンに、液晶の点灯機能を割り振れるようにしてくれると嬉しい。今は仕方なくSRボタンに振り当てているが近いほうが良い。


実際に街で使ってみて

EVFは自分が見たというより、他人が見た映像を強制的に見せられているようでどこかむず痒く感じる。そしていいカメラというのは、実際に肉眼で見ている感覚を与えてくれるもの、撮影中はその存在感が無に近いものが良い。ちなみにタッチパネルは毛嫌いしていたのだが、本機はなぜか積極的に使っている。きっと程よく撮影者の黒子になってくれるからなのだと思う。

DA 50mmF1.8を使っているせいもあるだろうが、645Zと同じ視線で街を見ることができるのがいい。
これは前から思っていたことだが、スナップとランドスケープを混ぜたようなものを撮っている者として、フルサイズの被写界深度が一番どっちつかず。


光学ファインダーの未来

smc PENTAX-DA 50mmF1.8 F6.3、1/800秒、-0.3EV、ISO100

ミラーレスが発達し電子ビューファインダーがどんなにキレイになったとしても、光学ファインダーは消えることはないと思う。それは光学ファインダーの意義が、綺麗だとかそういう点以外に、いやこっちのほうが最大の意義だと思うが、実際の景色を何をも媒介せずに見ているということのほうがよほど大きい。

smc PENTAX-FA 31mmF1.8AL Limited F2.8、1/1600秒、-0.3EV、ISO125

目と目とを見て話をし、対面して話す。それに対し、今コロナで身近となったオンライン会議に似ている。人間、映像というものはどこか嘘っぽく感じるものだ。
光学ファインダーには欠点もあるが、電子信号に変換されている景色はやはりどこか遠くの出来事のように感じてしまう。今後現場にいなくても色々な技術を組み合わせて撮影ができるようになるだろう。見る側にとって撮影プロセスなどどうでもいいことかもしれないが、写真文化が生き残るためには写真家が撮っているという感覚を失ってはいけない。それこそ光学ファインダーが消えない理由だと思う。逆に光学ファインダーが消える時こそ、写真文化の終焉のように感じてならない。

Sho Niiro
新納 翔

Sho Niiro

新納 翔

1982年横浜生まれ。麻布学園卒業、早稲田大学理工学部中退。 2000年に奈良原一高氏の作品に衝撃を受け、写真の道を志す。2007年から6年間山谷の簡易宿泊所の帳場で働きながら取材をし、その成果として日本で初めてクラウドファウンディングにて写真集を上梓する。2009年から2年間中藤毅彦氏が代表をつとめる新宿四ツ谷の自主ギャラリー「ニエプス」でメンバーとして活動。以後、現在まで消えゆく都市をテーマに東京を拠点として写真家として活動をしている。 川崎市市民ミュージアムでワークショップの講師経験を経て、2018年6月より目黒「デジタルラボPapyrus」にてデジタル写真技術を広く教える活動もおこなっている。主な写真集に『山谷』(2011、Zen Foto Gallery)、『Another Side』(2012、リブロアルテ)、『Tsukiji Zero』(2015、ふげん社)『PEELING CITY』(2017、同)がある。 現在、新潮社電子書籍『yom yom』に写真都市論「東京デストロイ・マッピング」連載中。

Twitter:@nerorism

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