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ペンタックスで綴る アパラチアン・トレイル 3500kmの旅 加藤則芳

40日が過ぎ、4番目の州に入る

ヴァージニア州に入った加藤さんは、インターネット環境の良いホテルに宿泊。忙しい仕事の合間に、アナログ回線使用時には送信を断念していた画像をたくさん送っていただきました。そのなかから、*ist DSで撮影した画像のいくつかをご紹介いたします。
アーウィン郊外の農村風景。人工物のカバーブリッジと自然が溶け合い、アパラチア山脈の人歴史を物語る(4/30テネシー州)
重畳とした山なみを光のシャワーが降り注ぐ(5/1テネシー州)
最も好きな色の洪水。緑系のバリエーションの中にハナミズキの白が浮き上がる(5/13ヴァージニア州)
5月13日、標高800mまで下りてくる。完璧なまでの若草色の洪水(5/13ヴァージニア州)
ATハイカー待望の地ダマスカスに
歩きはじめて40日が過ぎ、ようやく4つめの州、ヴァージニアに入りました。距離にして約840kmを歩いてきたことになります。3500kmという総距離を思えば、まだまだ先は長いのですが、やはり新しい州に入ると心も新たになり、それなりの達成感があります。
ヴァージニアに入ってすぐ、ダマスカスという小さな町を通過します。アパラチアン・トレイルは、明けても暮れても繰り返す無数のアップダウン(ネバーエンディング・アップダウンと、ぼくらは表現します)の果てに、山麓にあるいくつかの小さな町を通過することがあります。ダマスカスは、そのなかでもバックパッカーにとって最も有名な、そして、期待に心膨らます町なのです。
それは、この町が、町をあげてATハイカー(アパラチアン・トレイルを歩くバックパッカーをこう呼びます)を応援しているからです。さらに、ちょうど昨日、今日がそうなのですが、一年に一回、ATハイカーのための「トレイル・フェスティバル」が行われます。バックパッカーの多くは、このイベントに照準を合わせるべく、スピードを調節して歩いているほどです。その模様は、わたしのblogや随時連載しているiBE-P@Lなどでお届けしましたので、そちらをごらんください。
寒気のために気候は荒れ気味
歩きはじめてこれだけの日数と距離をこなすと、やはり様々なことが起こります。20日ほど前には、季節外れの大雪に見舞われ、山中で2泊停滞を余儀なくされました。そのときの寒気が、その後ずっと居座り続け、5日ほど前からようやくこの季節らしい暖かさが戻ってきました。とは言ってもそう生易しいことではなく、今度は「この季節らしい」すさまじい雷雨が連日襲ってきます。歩いている最中にこれが来ると、まずはとにかく完全武装して、ストックなどの金属類を隠し、なるべく安全そうな場所で(普通、そんな場所は少ないので、トレイル上で)小さく丸まって、通り過ぎるのを待ちます。
その20日間、季節の推移は、まったくと言っていいほど停まりました。自らのアップダウンによって、季節の行きつ戻りつは楽しむことができるのですが、やはり新緑前線が停滞し、本来あるべき高さでの新緑がいつまでも見られないというもどかしさが、わたしの中で居座りつづけました。アパラチアン・トレイルとは、まさにそういったところなのです。植生が豊かで、森の、自然の豊かさを堪能するには、格好のトレイルなのです。ただ、ということは、展望にはあまり恵まれず、アメリカらしいダイナミックな、荘厳な風景はあまり期待できないところです。それを知らずに歩く者にとっては、ここは辛いトレイルです。
ヴァージニアでホッとひと息
ヴァージニアに入ると、少し風景は変わってきます。それまでの森の連続から、牧場の広がりの明るいフィールドが増えてきます。光溢れる明るさの中を歩くという心地良さは、暗い森を歩き疲れた者にしかわからないでしょう。それでも、そういった風景は人が作り、人とのかかわりの中で生まれた風景です。
ということで、きょうは、季節と気象をテーマに、何枚かの写真をお届けします。当然、光、もテーマです。とはいえ、現地からの未整理の報告ですので、かなりアットランダムになりますが、お楽しみください。
2005年5月15日
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筆者プロフィール
加藤 則芳 (かとう のりよし)
作家/バックパッカー
NPO法人 日本トレッキング協会常任理事
NPO法人 信越トレイルクラブ理事
環境文学会 会員
1949年埼玉県に生まれる。大学卒業後、出版社勤務を経て執筆活動をスタート。八ヶ岳に移住し、自然保護の父と呼ばれるジョン・ミューアの研究に打ち込むなど、自然や自然保護、山歩きなどをテーマに、著書、テレビ出演などは多数におよぶ。アパラチアン・トレイルに関する取材、研究にも早くから取り組んでおり、名実ともに日本国内の第一人者。