

講師総評
篠原俊之ゼミナール2022年度 東京
9ヶ月間のゼミナールでやったこととは、素直な表現、自分らしい形をつくることを目指してきました。それは撮り方とか、プリントの色とか、紙の種類とか、そういう話ではなくて、対象の見方、向き合い方に始まり、それをどう見せるのかを経て、最終的にまだ出会ったことのない誰かと、どのような対話が生まれることを期待しているのかを、一緒に考えることでした。
なんだか、とても難しいことのように思われるかもしれませんが、毎回の授業は爆笑の連続、といった記憶しかありません。
自分らしい表現のタネはある日直感的に降りてくるものです。同時に、それはやりすぎではないか、、、という理性が自分の感性にブレーキをかけます。かけてないつもりでも、無意識にココロのブレーキをかけてしまうものなんです。それが社会人の良識というやつです。
だから少々の遠慮を取っ払って、ちょっとやりすぎかな、、、と内心ドキドキするくらいまで、持っていかないと、他人の耳には表現がおとなしすぎて、その内なる声が聞こえません、ということになります。
だから、僕の仕事は、参加者のみなさんの表現のいいところを見つけて、勇気を持って前に進めるように背中を押すことでした。押すなよ、押すなよ、絶対に押すなよ〜、というところをぼくがどーんと、そのまま行っちゃいなよ〜、とガシガシ押すので、笑いが絶えることがありませんでした。
結果として、展示はなんとかできたのですが、ハガキに印刷したり、WEBで告知するには収まり切らないような、自由すぎる表現がいろいろ生まれてしまいました。
今後もこのメンバーが全力で振り切った表現を続けてくれることを切に願っています。
学校教育の現場では、気がつけば20年以上、数えきれない学生たちと作品制作を支援してきたのですが、社会人向けのゼミでの授業は初めてでした。貴重な機会を私に与えてくださったリコーフォトアカデミーさんに感謝申し上げますとともに、この1年弱の間、関わって下さった全ての皆さんにお礼申し上げます。
他人行儀な思い出たち
イチノセキ サユリ
私が生まれ育った街の近くの公園。
かつてゴルフ場だった広大な緑地はいつも見事な景色を見せてくれていたはずだが、
冬の風景だけはよく思い出せない。
久しぶりに出向いてみるともう知った顔はおらず、初めて来たような気分になってくる。
乾いた空の下、木々のシルエット、そこに住む鳥たちの気配、
見知らぬ人たちの後ろ姿ばかりが目につく。
遠くから聞こえる烏の大合唱に向かって歩き始める。
今日はもうこの辺で、と言うように夕陽が差し込んで来た。
Website:https://instagram.com/kairos_journal
東京ストリートモザイク
オオニシ アマネ
都市はその独特な魅力が詰まった一つ一つの瞬間で成り立っています。一瞬を切り取ることで、ときにユーモラスな光景を発見したり、リフレクションが造る偶然からシュールな世界を演出できたりするのがストリートフォトの面白さだと思います。
【篠原ゼミの感想】
ゼミ参加とあわせてルーニィの展示作品、ときには秘蔵?作品をみせていただいたのも楽しかったです。
ありがとうございました。
自分の街(2022)
大西 俊正
自分が今、住んでいる街は、こんな看板が並んでいる街です。街に並ぶ看板は、その街の生活に密着しているので、街にどのような看板が並んでいるのかを見れば、その街の生活が、どのようなものかを、容易に想像することができると思います。そして、街が違えばそこにある看板も違ってくると思います。この作品から、あなたの街の看板との違いを楽しんでもらえれば幸いです。
また、街も自身も成長します。将来、この作品を見返すことで、この時の生活を思い出し、今の生活との違いを確認できるかもしれません。そのための記憶のかけらでもあります。
食べ物のある風景
TakuyaTOKYO
日常にある食べ物をストーリーに組み込んだ、コンストラクテッドフォト作品です。
メインキャラクターのフィギュア以外は殆ど食べ物で作られています。 スーパーの中を歩いて創造を膨らませたりしました。
何の材料が登場しているかを考えて楽しんで下さいね!
普段はポートレートやスナップをメインとし、このような写真を作るのは初めてですが、今後、このシリーズも続けて制作しようと思っています。
TakuyaTOKYO
渋谷2023 その街の顔
片桐 弘人
Katagiri Hiroshi
多重露光や画像加工の様に見えるかも知れませんが、
すべて渋谷での一発撮りの写真です。
渋谷は絶えず変化し続けている混沌の街であり、
その顔の断面を切り取るにふさわしい手法として、
リフレクションに行き着きました。
同時代性を持った瞬間の記録になり得たならば、
作者としては望外の喜びです。
並行現実
木全 裕美
展示写真は、その時その時の「あっ!」という発見の連続で、未だはっきりと言語化できずにいます。
今言えることは、単に日常の一コマを切り取っているわけではないということ。
日常の中で、異なる世界が突然現れるような感覚があるということ。
もっと言ってしまえば、その風景のほうが私をずっと見ていて、発見されるのを待っていたのではないか?とさえ思えてしまうことがあるということ。
「あっ」という発見、向こうからのメッセージ、自分がシャッターを切って写したものは?それらを自分の中から探すループはまだ続きそうです。
めぐり、めぐる…
雑賀 節子
家の近くに、勝手に「野菜墓場」と名づけた場所がある。
畑のすみっこ。間引かれた葉物、出荷の規格からはずれた人参、収穫の終わったブロッコリーの茎や根、あるいは家で食べた野菜の外葉や芯…。春、夏、秋、冬、季節ごとの野菜が捨てられ、朽ちていく。まさにここは「野菜の墓場」だ。
ところが、ある日気づいた。朽ちた野菜から種がこぼれ、芽を出し、葉を広げ、繁茂し、花を咲かせ、結実し、収穫されることなくまた朽ちていく…。それは毎年起きていた。
ここで起きている事象は、生命そのもの。さまざまなことばや想いが私の中に浮かんだ。いのち、循環、輪廻…。
そう、すべてのモノは、めぐり、めぐる…。
https://saika94.wixsite.com/website
Life in the moment
迫田 肇
日常生活で見慣れた光景は、徐々に新鮮さが失われていく。あれだけ眩しかった東京の景色も日常に変わり、私は街の光景に目を向けなくなった。
ある日、代わり映えのしない光景をぼんやり眺めていると、幾つかの偶然が重なり、僅かな時間だけ、いつもと異なる表情を見せた。しかし、その偶然はあっという間に消えて無くなり、二度と現れなかった。
私はこの時間の隙間を記録したいと思った。多忙な日常生活に追われ、多くの事を見逃しているのではないか。また、見慣れた日常をじっくりと観察することで、新たな発見があるのではないかと考え、本作品の制作に取り組んだ。
Instagram:https://www.instagram.com/hajime_sakoda/
癒やし
鷹野 裕
目の前に広がる茂みは、その完璧な乱雑性をもって鑑賞者の思考に蓋をする、大いなる癒やしであるように感じます。
修了展映像作品
https://www.youtube.com/watch?v=4e23DkVRlbo
クスノキ
高橋美穂子
近所の神社に大きな楠木があります。
クネクネと気持ちよく枝を伸ばし、小さな葉を揺らしています。
人間社会は忙しなく変化しますが、大きな木は人の時間と別な時間が流れている気がします。
務めを果たしてなお
松本芳明
駅までの道のりを必死で送り届けた、かごに一杯の野菜を積んで夕飯の支度を支えた、小さかった子と何度も倒れながら前に進んだ、重い酒瓶を後ろに載せてうまい匂いの路地を縫った、そんな自転車たちは務めを果たし、今なお。
https://www.instagram.com/pantanist/
講師総評
こばやしかをるゼミナール2022年度 東京
2022年7月から半年間「人に伝える・見せる」ために写真をどう選び、どう発表するかを考えながら、他者の視点を通し、自分自身の発見と自分らしさの理解を深めてきました。また、その中でプリントの仕上がりや、用紙による表現の違い、額装など、展示までのプロセスを学ぶ機会を経て、写真展開催に取り組みました。
自分の思うままに撮った写真の中から作品としてブラッシュアップし、オリジナリティとテーマを見出すことの難しさや、言葉にならず伝わらないもどかしさ、自分自身が気付かなかった側面を知ることも、自問自答する葛藤も、本ゼミナールでの経験値になっています。
写真展に取り組んだ皆さんは、発表することが大きなステップとなりました。写真展開催中に時間を共有したことで得られた喜びも、これからの作品に波及していくことでしょう。明確な答えのない表現の世界で、今日からまた新たなテーマに向けて歩みゆくことを願っています。
光のおぼえ
北川玲子
街の様子 植物のスナップ 季節
移りゆく気配を感じながら
気ままに撮り歩いています
そのときの空気感や雰囲気が収まっている一枚に
癒されたり 心弾ませ感動する
思いもよらない光の表情
いつかのおぼえの春の光
を展示しました
ゼミでは8名の参加者各々の写真への印象や言葉を
伝え重ね合いながら展示まで学びを進めてきました
ひとりでは気付けない観点や言葉に刺激をもらい
写真への好奇心は広がり
たのしみながら撮り歩き続けたい
展示を終え
心新たにしています
北川 玲子
@ig_leico_3_claret
Kuching
gula
ボルネオ島にあるマレーシアのサラワク州の州都クチン。
マレー語で「猫」を意味するこの街で10年程前に3年間過ごしました。
身近に写真の撮り甲斐がある風景・動物、植物、この数年間自由に旅行できなくなってしまったことで、より一層貴重な経験であったと感じます。
Convergence Blue
Moto.Suzuki
初めて一眼レフカメラを手にして四十余年、デジタル化の波を受け時間軸のコンバージェンスゾーンのごとく出現した「写真展」に参加したい気持ちから、なにかとご縁を感じる「金沢八景」の街撮りスナップを青をキーにまとめた。
約半年間の講座を通じて、写真を展示することの楽しさ、面白さ、そして難しさを参加の皆さんと体験できたことで、新たに次のコンバージェンスゾーンが出現するかもしれない。
音楽の顔
竹内 聡
闇が強く照らされている。
光が輪郭を縁取り、その表情が浮かびあがる。
音階を奏で、叫びを上げ、リズムを刻み、弦をかきむしり、たたきつける
その色とりどりの姿を僕らは見つめて囃し立てる。
画面の中の光の死角で僕らは彼らと身体を揺らす。
画面に映る影のこちらであなたも僕らと心を揺らす。
被写体協力:
杏仁クルーエル
かわむらいさみBAND
千賀太郎
もらすとしずむ
燐-Lin-
And more...
講師総評
中山博喜ゼミナール2022年度 オンライン
本ゼミナールでは、毎回こちらからお題・言葉を提示し、そのお題に沿った写真を撮ってもらいました。受講生の皆さんは、示された言葉をどう解釈し、それを「写真」というヴィジュアルイメージに落とし込むために何をどう撮れば良いのかと思考を繰り返す中で、自分自身の撮影スタイルや特徴に気づいたことでしょう。
自分自身の写真を理解するというのは意外と難しいものですが、受講生の皆さんはこれらの経験の中で、ご自身の写真について色々と整理が出来たのではないでしょうか。ここに掲載された作品は、これらの経験を通して改めて自身が何を撮りたいのかを明確にして、撮影に臨まれた写真群と言えるでしょう。
Echo
神威惟明
ゼミの終わりに至って、やはり写真は非常に難しい表現媒体だと改めて感じている。腑に落ちずに何度も撮り直したものは、何枚も撮っていたのが不思議になるほど、時を経て見返すと、とても退屈であったりする。
逆に写真自体が意図せず何かを語ることもある。
彼らが語っている声を拾うことが私にとって今後の課題であると思う。
私は今回、自分の記憶からこぼれ落ちた、忘れられた写真を拾い集めていくことにした。
条件は、撮られた枚数が多くないこと、記憶に残っていないこと、そして写真自体が何かを語っていることだ。
忘れた頃に帰ってきた木魂のように、記憶と記録を繋ぐ線が途切れたとき、写真は何を語るだろうか。
Website: https://photokk.net/
Instagram: https://www.instagram.com/kamui_koreaki/
重力
北川 衛
ゼミの初回。出された課題は「重力を感じる写真」。
意外すぎる課題に頭の中が真っ白に。
重力とは何かを理解しようと、「そもそも重力とは? 」からはじまり、「引力と重力の違いは?」「ニュートンとアインシュタインで定義の違いは?」などネットをいろいろ検索。また、映画インターステラーを観たりも。
いろいろ悩んだ挙句、3点を作成しなんとか提出。
重力について、改めて撮り直したりセレクトし直しました。
ゼミの期間中、様々な課題に取り組み悩みながら製作してきました。またオフ会では現地で植田正治の世界に触れることができました。刺激的な楽しい9ヶ月間でした。
ありがとうございました。
郷愁
久保田幸子
故郷の景色は、人それぞれだ。
でも、故郷を見つめるときの気持ちは、きっと似ているのではないだろうか。
ランドセルを放り出し、公園へ走ったあの頃。
舞い散る桜、入道雲と蝉の声、急斜面に作った秘密基地、丘から眺めた夕焼けに染まる町。
あたたかくて、穏やかで、やわらかな気持ちになれる。
それでいて涙が流れそうな、そんな故郷の景色と記憶。
「生まれ育った町を写真に残したい。」
カメラを手にした時からのその気持ちは、ただ「場所の記録」を撮りたいだけではなく、誰にでも共通する「故郷」への想いを閉じ込めたかったのである。
Blog:
https://plaza.rakuten.co.jp/brightnessphoto/
Instagram:
https://www.instagram.com/sachiko_kubota/
さみしいどうぶつえん
雑賀 節子
むかし、ちきゅうには たくさんの いきものが すんでいました。
どうぶつえんにも、いろんな いきたどうぶつが いたそうです。
わたしも あいたかったなあ。
https://saika94.wixsite.com/website
鳥取砂丘 sense of art ~行き交う人々~
TOMOYUKI NAKATA
When there is the sense of art, everything can become a piece of artwork.
アートを感じとれる時、全てのことはアート作品になる。
私が写真を撮る理由はただ一つ。目に映る世界にアートを感じるからです。
写真家植田正治の創作の舞台となった鳥取砂丘。行き交う人々の様子に植田氏の作品に通じるアートを感じました。
~砂と影~編はこちら
鳥取砂丘 sense of art 砂と影 - YouTube
ひとやすみ
T.Nishio
何かに日々追われて過ごしていると少しのあいだ落ち着ける場所に居たくなります。
その様な場所や状況を見つけて切り取りました。
撮った本人はその場の雰囲気が分かり感じるものがあっても他の人に伝わるようにするにはどうすれば良いか、難しい課題でもあり写真を撮る楽しさでもあります。
窓の中。窓の外。
miki hagiuda
窓の中には何が見える?
窓の外からファインダー越しに覗きこむ。
窓の中は思いのほか暗くて。
窓の外にいる私の影が意図しないままガラスに映り込む。
窓の中に何があるのかよくわからないまま。
窓の外から闇雲にシャッターを切れば。
窓の中の世界に。
窓の外の私が溶け込んでいく。
窓の中に扉を開けて入り込む勇気はなく。
窓の外にただ立ち尽くすだけ。
窓の中に視線を向けているはずなのに。
窓の外のリフレクションを捉え。
窓の中から眺めているかのように。
窓の外の世界を目に焼き付ける。
いったい窓の中を見たいのか。
いったい窓の外を見たいのか。
自分に問いかけてみても答えは出ない。
instagram.com/mikiphotoworks
日常星景
山本博永
かつて、日々の暮らしと星が重なり合っていたのだとすれば、
闇が払われ、星が消えていくこの時代に、
生きる意味さえ希薄化し、
「日々の暮らし」もまた失われつつあるのは偶然ではない。
この思い通りにはならない日々を、「日常」と呼ぼう。
私の意思に反して繰り返される日常は、
それゆえ、世界が私の内ではなく、外にあることを証明している。
今年もまた、否応なく、あの星が巡ってくる。
もう一度、星を見上げ、日常の景観の中にある星空を写し撮る。
思い通りにならない日々の記録として、星空の風景が
――「日常星景」が残されていく。
暮らしと星を写すその一葉一葉は、
微かな光となり、
私の生の輪郭を、かろうじて照らし出してくれるだろう。