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「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」石川武志

©Takeshi Ishikawa

ユージン・スミスは20世紀を代表する写真家のひとりです。ユージン・スミスが妻アイリーンと共に水俣を取材して世界に報道したことは有名です。それを映画化した「MINAMATA」はジョニー・デップが自ら制作主演し、注目を集めています。当時、石川武志は3年間に渡ってアシスタントとしてユージン・スミス夫妻と共に生活をして撮影をします。今回の写真展では夫妻の共著「MINAMATA」にも掲載していない水俣の生活や撮影シーンなど貴重な作品を展示します。作品はモノクロームで、作家自らがプリントしたゼラチンシルバープリント31点で構成しています。なお、展示期間中にオリジナルプリントを販売いたします。

ONLINE写真展

作者 石川武志
作品名 「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」
会期 2021年10月7日(木)~10月25日(月)
時間 当面の間、10:30~17:30までの短縮営業(最終日16:00終了)
定休日 火曜日・水曜日
入場 無料
会場 リコーイメージングスクエア東京 ギャラリーA
連絡先 〒163-0690 東京都新宿区西新宿1-25-1 新宿センタービルMB(中地下1階)MAP
℡0570‐006371

作品コメント

私がユージン・スミスのアシスタントになってしばらくすると、彼は20本入りのフィルムパックを私によこし、「なぜお前は写真を撮らないのだ」と言った。私は「アシスタントだから撮らない」と答えると「駄目だ、お前も撮れ、自分ならどう撮るか考えろ」と彼は言った。それ以来、私はアシスタントをしながらユージン・スミス本人や水俣病患者を撮影した。
 ユージン・スミス夫妻が水俣にやって来たのは1971年、今から半世紀も前だ。今では当時を知っている人はほとんどいない。私はユージン・スミスが水俣で何を見て、何を撮影し、何を残したのか、伝説の写真集「MINAMATA」はどのようにして制作されたのかを同時体験させてもらった。
 ユージン・スミスは日本に三度来日して二度大怪我をさせられたが、それでも日本が大好きだと公言していた。写真集「MINAMATA」は命を引き換えにして取り組み燃え尽きた最後の仕事だった。私は今回の写真展「MINAMATA ユージン・スミスへのオマージュ」を通じてユージン・スミスが取材した水俣の真実を知るいい機会になればと思う。  石川武志

作者プロフィール

1950年 愛媛県生まれ
1971年 東京ビジュアル・アーツ卒業
1971~1974年 ユージン・スミスのアシスタントとして水俣を取材
1975年 渡米し以後フリーランスとなる
1980年 インドでガンジス河巡礼の取材を開始
1982年 インドのトランスジェンダー社会「ヒジュラ」の取材を開始
1987年 ハイチの「ブード」やブラジルの「カンドブレ」などを取材
2008年 再び水俣の取材を開始

写真展

1982年 新宿ニコンサロン「ヨーギ」
1985年 ミノルタギャラリー「ヒジュラ」
2011年 銀座ニコンサロン「ガンガー巡礼」
2012年 銀座・大阪ニコンサロン「水俣ノート 1971~2012」
2014年 ミナマタ・ミュージアム「MINAMATA NOTE 1971~2012」
2015年 ギャラリーEM西麻布「MINAMATA NOTE 1971~2012」
2019年 ギャラリー・プレイスM「NAKED CITY VARANASI」

写真集

1995年 「ヒジュラ インド第三の性」(青弓社)
2012年 「アジアの奇祭」(青弓社)
2012年 「MINAMATA NOTE 1971~2012」(千倉書房)
2020年 「NAKED CITY VARANASI」(蒼穹社)

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