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風景写真家 辰野清 645Dギャラリー

ペンタックス645Dの魅力 従来の豊富なレンズ群が使え高画質の世界を堪能でき新レンズが繊細な風景を忠実に再現してくれる

朝の光が森に生気を吹きこむ瞬間。ダケカンバの細い枝にまとわり付いた無垢な結晶は、ドレスをまとう少女の清楚さを放ち美しさを主張しているかのよう。これも超高画質645Dの限りなく精緻な線描写がなせる業である。
ペンタックス645D・FA645 80~160ミリ・C-PL・F20オート(+0.7EV補正・1/20秒)・ISO400・画像仕上げ:ナチュラル・WBオート/長野県松本市,鉢伏山・12月中旬

現在も撮影地ではフイルムでの撮影を楽しまれている多くの645ユーザーを見かける。品質、描写ともに絶対的地位を築いたフイルムカメラなので当然のことだ。ともなればデジタルへの移行も考えている方もなかにはおられるだろう。今までにコツコツと揃えたレンズ資産を有意義に使える645Dの「645AF2」マウントのメリットは大きく、ボディの交換だけで超高画質4000万画素の世界が堪能できるのである。
私はフイルムとデジタルの掛け持ちスタイルだが、ザックに645Dボディを1台追加するだけの最小限の機材ですむことで体力的にも助かっている。また専用アダプターを使用することで深みのある67レンズの使用も可能となり、67ユーザーにしても嬉しいシステムでもある。
一方で現行レンズがフイルム時代に設計されたものも多く、いささか描写性能への不安もあったが、そもそもsmc ペンタックスレンズの基本性能レベルは卓越しており、独自のマルチコーティングによる逆光時のフレア対策も優れている。
また、実画像は645フルサイズで設計されたレンズの屈折率の少ない中央部を使うので、色収差や歪曲収差も実用ではまったく気にならないレベルである。受光部のサイズの違いから、約1.3倍ほど望遠側にふれ、手薄となった広角側だが、周辺部までシャープな描写のデジタル対応D FA645 25ミリも新しく加わり心強いラインナップとなった。
超広角レンズ特有の見上げた樹木のラインに歪曲収差が出てしまったり、光の波長の違いによる偽色(色収差)が生じる「倍率色収差」だが、カメラ内の画像処理回路によって見た目に近い自然な状態に補正を行う。これはフイルム時代ではできなかったことだが、忠実な感動を再現してくれるという意味ではとてもありがたい機能である。

ペンタックス645Dを選ぶ3つの理由

ススキの滑らかなラインを形どる霧氷の輝きを逆光で撮影することで誇張した。従来のFA645 35ミリレンズの極めて優れたコーティングの効果でゴーストはほとんど入っていない。645レンズには状況を選ばずカメラを向けられる安心感がある。
ペンタックス645D・FA645 35ミリ・F11オート(+0.7EV補正・1/200秒)・ISO200・画像仕上げ:ナチュラル・WB太陽光/長野県開田村・1月中旬

新レンズD FA645 90ミリの表現力 フレアのないコーティングによりどんな状況でも自由な発想で撮影を楽しめる

ペンタックス645D・D FA645 マクロ 90ミリ・C-PL・F22オート(+0.3EV補正・1.6秒)・ISO100・画像仕上げ:ナチュラル・WBオート/長野県辰野町,横川渓谷・12月中旬

D FA645 MACRO

D FA645 MACRO
90mm F2.8 ED AW SR
35ミリ判換算約71ミリ相当(645D使用時)
レンズ構成9群11枚
手ブレ補正約3.5段分の補正効果
最短撮影距離41センチ
最大撮影倍率0.5倍
フィルター径φ67mm
大きさ90.5×111.6ミリ
重さ約1,040g
価格オープン

 このたび発売されたD FA645 90ミリで冷たく堅い氷の撮影を試みた。ポートレートに適した柔らかな描写とのことなので堅く冷たい氷には不向きかとも思われたが、第一印象は氷の陰影に豊かな階調が乗るというもの。他のレンズでは白トビをしそうな明るい氷の屈折が見事にトーンを残している。フイルムを思わせる“粘り感”で、これにはいささか驚いた。そこには谷川の水の飛沫がゆっくりと重なり氷塊となる時間の経緯も見えるようだ。
また川面に反射する太陽の強い光や太陽を直接入れた渓谷の風景も撮影したが、新開発の“HD コーティング”と“エアロ・ブライト・コーティング”の併用によって、どのコマもフレアは皆無といってもよい。こんな夢のようなレンズが誕生したことも時代である。
風景写真では真実のなかにある感情の模索に醍醐味を覚えるが、これでどんな条件でもフレアを気にせず自由な発想が楽しめるということ。この新開発のD FA645 90ミリレンズによって新たな表現の扉がまたひとつ開いた気がする。