• ブランド
  • 製品
  • ストア
  • フォトアカデミー
  • コミュニティ
  • サポート
リコーフォトアカデミー 2021年度ゼミナール 参加者作品 リコーフォトアカデミー 2021年度ゼミナール 参加者作品

リコーフォトアカデミー
2020年度ゼミナール参加者作品はこちら

講師総評
赤城耕一ゼミナール2021年 東京校

「都市への視点」

本ゼミナールでは、当初から自分の周りにある事象を見直すことをテーマのひとつとして据え、受講されたみなさんのほとんどが都市部に暮らすことから「都市」をベースとした写真制作活動を試みてきました。 

ごらんのように、被写体に特別な意味や価値を持つ作品はほとんどありません。そこには美しい花も、雄大な山も、素敵な女性もいませんが、被写体に意味がなければ写真作品として成立しないという単純でステレオタイプな解釈を打破しようという思いも根底にあります。

シャッターを切った動機はみな異なりますが、たまたま同時代、同じ時間を生きることになった私たちそれぞれが何を見て、何を感じ、日々をすごしているのか。人にはそれぞれ固有の世界観、事象への解釈の違いがあることを写真によって伝えようと試みたのがこれらの作品群なのです。

Kiritoru
USHIO Masato

眼前にある光景を、思い切り引き寄せ切り取って記録することを試みた。
切り取られたイメージは、内と外の世界を繋げる役割を果たしている。
肉眼による曖昧な観察よりも冷酷に、明快な再現によって表現された写真は、肉眼だけでは捉えることのできない、差し迫ったもうひとつの世界がこの世にあることを私たちに教えてくれる。

撮影地 津田沼(千葉県船橋市、習志野市)

Website:
https://www.instagram.com/ussyio/
http://umblog.air-nifty.com/

水都市
桐生 絵美

南国の海を撮りたくてカメラを買った直後に新型コロナが発生。
撮影旅行どころではありません。
そんな中、赤城先生の講座を知り、水をテーマに撮影することに。
場所は家族で行った思い出の地です。
南の海の綺麗さはありませんが、記憶と水が楽しくシンクロしてくれました。

ポートフォーリオ:https://stock.adobe.com/jp/contributor/210662640/emi%20kiryu

渦中の日常
草薙正朗

コロナ禍が始まって3年目。
暗澹たる状況下でも、動かざる得ない日常がある。
そんな中、ホッとする日常も時にはある。

反照
小西 直也

この度は赤城先生率いる本ゼミに参加することで、楽しみながら多くのことを学ばせていただきました。
撮影に際しての留意点はもちろんのこと、写した作品の中からどれを選ぶか(写真は写すより選ぶ方が難しい)、選んだ作品をどの様に構成し展示するか等、プロの視点から貴重なご指導をいただきました。
そしてここに学んだことを集成して、参加の皆さんと共に作品を展示できることを嬉しく思います。
赤城先生と本企画を担当して下さったリコーイメージングスクエア東京の森さん、どうもありがとうございました。

地図にない路地
桜木有紀子 Akiko Sakuragi

方向音痴の私は、地図が無いとどこにも行けず、どこからも帰れません。
いつも迷って、気がつくと知らない場所にいました。
不安で立ち止まる時もあったのに、ここまで辿り着けたのは、
いつもの声が耳に届いていたから。
キラリと輝いて見えた心のままシャッターを切り、またグルグルと路地を進みます。
ゴチャゴチャとしたおもちゃ箱のように、色や形を詰め込んで、
良いおみやげができました。
まだここはめざした場所ではないから、一つひとつ光をつかんで、次の角は右へ。

Website
https://latelieraktn.official.ec/

夕 景
戸島 照雄

厳冬の隅田川、往来する船は少ない。
ウオーターフロントのビル群に夕日が映えている中、変わった型の
船が来た。
最新式の水上バスだった。
コロナ禍 船内で密になるのを避けているのか、船客の大半がデッキに
出ているようだ。
全員マスクを付け、肌を刺すような寒風を受けながら、茜色に変わり行く夕景を見ているのだろうか。

2022年2月 勝鬨(かちどき)橋(ばし)上より GRⅢx

dialogue
鳥塚 徹

特別なものを探すわけでもなく、退屈さを抱えてこの街をあるいていた。
フト街の存在に気づくとき、街との対話が始まった。

橋本有史

平成未来型都市の挫折と令和
1990年4月、東京都は臨海副都心開発事業化計画を発表した。いわゆる東京テレポートタウン計画で東京臨海部をマンハッタンにしようとする計画である。1990年はいわゆるバブル経済最後の年であり、バブルは翌年崩壊した。30年後2021年に東京オリンピック、パラリンピックが開催され、東京都としてはオリンピックを臨海部再興のチャレンジと捉えていた。東京臨海部はそのような歴史、バブル経済から崩壊、街の衰退、再興手段としてのオリンピックそれらが凝縮されている。

特等席
Hiroshi Furuya

少年は柵の隙間から往来する列車を夢中で見つめている。
彼のお気に入りの場所はもうすぐ無くなってしまう。
90年以上前からこの場所にあり、人々に親しまれている古い跨線橋は
近いうちに取り壊される。

面白いもの
村井 達彦

街をぶらぶら歩きながら見かけた、ちょっと『面白いもの』を写真として記録していく。
近所を散歩してもいいし、あまり知らない場所へ行き適当に歩き回って写真を撮るのもよい。
運が良ければ思いがけない不思議な『面白いもの』に出会えることがあります。
これらの写真を見て、少しでも私が感じた『面白いもの』を体験いただければ幸いです。

講師総評
タカザワケンジゼミナール2021年度 東京校

毎回テーマを設けてレクチャーを聴いてもらい、そのうえで課題に挑んでもらう。それが私のゼミでした。
レクチャーで学んだことを生かしつつ、作品をつくるのは簡単なことではありません。得意、不得意もあったでしょう。
しかし結果として、参加者それぞれの個性が浮き彫りになったと思います。
ゼミを終えてあらためて感じたこと。それは、銀塩からデジタルへ、印画紙からSNSでのシェアへ、と写真をめぐる環境は刻々と変化していますが、それでもやっぱり「作品」としての写真は面白いということです。しかもその可能性はまだまだくみつくされていないのです。 

匿名の街
石井 陽子

かつて人間は、水の便がよい場所に集落を作り、気候に合う作物を作って暮らしを営んでいた。近代になり産業が発展するにつれ、人びとは山を切り開き、海岸を埋め立てた。都市の周辺には居住に特化した郊外が形成された。伝統家屋や田畑などを壊した上に作られた街は、地域固有の歴史と風土を失った。
人気のない住宅地で撮った写真に現れるのは、匿名の街だ。果たして、郊外はその土地の記憶を失ったのだろうか。

Website:http://www.yokoishii.com/


井上美千子

いろんな人がいることは、みんな知っている。でも産まれた時から女の子だ、男の子だ、嫡子だなどと扱いに相違がある。そういうことは当たり前だと思ってきた。自然にすり込まれて、差別されているとかしているとか気がつかなかった。そうやって出来上がってしまった固定観念はガチガチの筺だ。間違った「常識」は幾層にも貼り込まれて、息苦しさは倍増している。苦しくて外に出たい。こんなの自分じゃ無いと必死で否定して、この箱を壊したいんだ。

扇 強太

人が「祈る」ことに対して、かつての僕は「何も考えていない、タダの神頼み」と感じていました。
ただ祈るのではなく、具体的な解決策を考えるのが正しいことでした。
間違いだったとは思いませんが、世の中には自分の考えが及ばないこともある、と気が付いてしまいました。
世界中に祈る人がいる。人はなぜ祈るのか、これまでどんな人生だったのか。いま楽しいことや悩んでいること、これからどんな希望を持っているのか。
祈りに込められた背景を写していきたいと思います。

世界観
大久保 恵慈

光は光子(フォトン)であり波である。人は目を使って、世界を反射した光子の像を網膜に結び、それを認知する。
自己の周りの自然や社会はうかがい知れない世界として認識される。では、この世界とは何か、自分とは何か、人はなぜ争うのか、善とは何か、自然とは何か、都市とは何か、生きるとは何か。
世界は光子で構成されている。すべての光子、すべての闇で構成した世界を見ると何を感じ考えるか。

織田 和彦

『そこは人とつながっているのに孤独で、
そこは物であふれているのに満ち足りず、
そこは自由なのに不自由だ』

都市に向けてシャッターを押した時には意識していなかったものが写真の中にはつまっている。光とかげ、人と人や人と物との関係性、そしてその時代特有なものまでもうひとつの世界が立ちあらわれてくる。
現実の世界を見ても気づかなかったことに、写真を見ることによって私たちは初めて気づけるのではないでしょうか。

All My Loving 〜猫と妻〜
北川 衛

妻と猫との3人の暮らし。起床、仕事、就寝の繰り返しの中にもさまざまな出来事がある。楽しいこと、辛いこと、悲しいことなどが絶え間なく起き、同じことはひとつもない。例えば、食事のときでさえ、ちょっとした感情や雰囲気の違いで昨日と今日とでは異なって見える。そしてそれらは後になって振り返ると良い思い出と変わる。
人の一生は100年。長い歴史から見れば一瞬だが、それぞれの一生の中に沢山の出来事がある。それは生きた証だ。
他人から見れば新聞の片隅に載るような些細なことも自分にとっては一面記事。
これからもその「時」と「思い」を形として残していく。

バジルに捧ぐ
雑賀 節子

バジルが導いてくれた。

最初は「ボクをもっとたくさん、もっと可愛く撮って」
と言われた気がした。

以後、新しいカメラを買えば、ファーストショットを捧げ、どれほどの枚数を撮らせてもらっただろう。

授業で「ステージフォト」の課題が出されたときも、当然のようにバジルにお願いし、何度も何度も撮影につきあってもらった。自分とバジルの2ショットを撮るのは、新鮮で楽しかった。

撮影のあと、まさか1か月もしないで亡くなるとは思わなかった。バジル、ごめんね。そして、ありがとう。

ゾウを飲み込んだボア
黄 庸夏

子供の頃、家中のすべては旅先だった。
母はもっと勉強をしなさいと言い、机の前に僕を座らせていたが、机に散らばっている景色は山であって、海であった。
片手の鉛筆は僕の代わりになり、山を飛び、海を潜り、遠くまで旅をしていた。

いつの間にか、僕は大人になったに違いない。
机のものは増え、パスポートのスタンプも増えてきた。
机は散らばったままで、旅立つことはもうなくなった。

近頃、家から出られない時間が増え、再び机の景色が僕を訪れた。
また山を飛ぶ、海を潜り遠くまで行く夢を見る。
かつての僕がボアに飲み込まれているゾウを恐れていたあの時のように。

これは、僕の旅の記憶である。

night saunter
Yukiko Miyoshi

コロナ禍で生活スタイルが大きく変わった。好きな旅行にも行くことができず、仕事はリモートワークに移行した。平日も家にいることの方が多くなり、夜まで仕事をしたあとは気分転換に夜の町を散策するようになった。街灯に照らされた夜の町は、見慣れた町並みがいつもと違った印象になる。そんな小さな発見を求めて夜な夜な夜の町へ出る。

講師総評
新納翔ゼミナール2021年度 東京校

写真を撮るということは意識的に行っているかに問わず、己れの内側にある想いを他者に向けて可視化する表現行為です。初回では何を撮っていいのか分からずという方も、講座を重ねるにつれそれが明確になっていったのが毎回提出されるプリントを見ていてよく分かりました。

それまでPhotoshop等のツールに振り回され表現することに集中できていなかった方も、体系立ててレタッチの仕方をマスターすることで、写真の楽しみを一層深く感じられるようになったはずです。数回目から目に見えて作品のレベルが向上してきました。プリントとしての完成度だけでなく、写真の内容自体も深みを増したように感じます。手足が自由になり、表現の部分に集中できるようになったのだと思います。

編集ソフトに使われることなく、それを自分の表現領域に落とし込むことでどれだけ写真が楽しくなるか、それを実感できればと幸いです。年間を通して学んだファインプリントを制作するための知識を何度も復習し、これからも写真と向き合っていってください。

それぞれが生きている
石井 克智

東京という街に住んでかれこれ40年が経とうとしている。
実に様々な発展を遂げるメトロポリスと共存している中で2年前から『コロナ禍』という新たな境遇での人生を送ることになった
ただでさえ忙しく、海外のように人に微笑みかけることもないこの都市で、マスクという新たなカルチャーは人々から表情を奪っていき、ますます冷たく、関わりの薄い社会が形成されてしまったように思う
そんな東京において、それぞれの勝手な人生
をいろいろな街で切り撮ってみました…

稲 英一

街行く人はみなマスク姿、そんな光景を残しておきたいと思いました。
こんなことは今しかないはず、もう見ることはないだろう、との願いを込めて。

千住新橋北詰。
イワタ コウジ

この歩道橋の長いスロープを登ると、1983年竣工・長さ446mの千住新橋につながり、1930年に水害対策として完成した荒川放水路をまたいで、対岸の街へと繋がっています。
土地が平坦で面積も広い足立区では、自転車が手軽な移動手段として普及していて都区部で2番目に利用者が多く*、また歩道が狭いなどの理由で、歩行者との接触事故防止が課題になっています。この歩道橋も例外ではありません。
風雨の夜にもかかわらず、人々が自転車でスロープを登って行きました。写真に映ったこの方は、これから対岸の街に急ぎの用事があるのでしょうか、それとも家に帰るのでしょうか。今日も一日お疲れ様です。

*https://www.city.adachi.tokyo.jp/documents/3739/d07200015_1.pdf より

In My House
大西 俊正

新納ゼミでは、自分なりの写真表現の追求手段としての、フォトレタッチ技術の習得が目標でした。そこで、そのための題材として、今の自分を取り巻く大きく変わってしまった生活の記録、特に、これまで自分になかった視点を見出すために家の中だけでの撮影を選択し、この1年作品作成に取り組んできました。
両方ともまだまだ作成中途ではありますが、皆さんの身の周りを見直すきっかけになってもらえればと思います。

流 転
佐藤 充

東京の景色は移り変わりが早い。
数十年で一変することも珍しくはない。
その変容は掴みどころがなく、
終わりなく延々と続いていくかのようだ。

地表を覆う建物群、
荒れたコインパーキング、
再開発を待つ打ち捨てられた一角、
きらめくガラスの壁。

混沌とした街を歩き、流転する様を捉えようと試みた。

宿谷貴之

同じ街を時間をかえて行ったり来たり。新たな気分で歩き・見て・感じる。
普段見なれた景色も、心に強い印象を受ける瞬間がある。それらは、直線、光、曲線であり何かしら少し寂しいような印象かもしれない。いつかは遠ざかる記憶。
遠出もしなかったコロナ禍での身近な気づきを感じていただけたらうれしい。

Small World
竹内聡

丘を降りればその先に友が待っている。
彼に会いに行く前に、何の気なしにシャッターを切った。
淡い色の空の下には丹念に手入れされた畑と雑木林が広がっている。
木々の隙間のそこここに人の住まいが並んでいる。
土と草のにおいがする。
月夜ならばドッテテドッテテと行進しそうな電信柱の隊列が遠く向こうまで続いているが、今は正午。隊列は道の両端できをつけの姿勢を崩さない。
11月。小春日和の風の穏やかな日に丘の下に広がる風景。

萩生田 美樹

Through the windows
窓を通して見える世界
窓に反射して見える世界
時に窓から中をこっそり垣間見たり
時に窓に映った自分自身を見つけたり
The eyes are the windows of the heart.

Website:https://twitter.com/mikiphotoluver

On the beach   貝殻の夢
矢形 建夫

以前彼はちゃんとした貝だった。貝はいつもじっとしていて全然動かなかったから、海底のあの岩の向こう側にはなにがあるのか考えていたものだった。
あるとき貝が死んでしまって貝殻だけが残った。貝殻の中にはいつの間にかヤドカリが住み着き、おかげで海の底を自由に動き回れるようになった。
すると今度は暗く冷たい水底から上を見上げておぼろな意識の中で貝殻は考えるようになった。
ふわふわと漂うクラゲ
サーッと泳ぎ抜ける鰯の群れ
更にその上にぼんやりと見える薄明かり
あそこにはなにがあるのだろう。

~Walk On~
tomomi yamauchi

緊急事態宣言が明け、やっと街に出かけられるようになりました。ワクワクしながら急ぎ足で目的地に向かっているのに、その道すがら出合った青空と白い壁のコントラストに目を奪われ、思わず足を止めて写真を撮りました。
街を歩くと、何気ないけど心惹かれる景色に出会うことがあります。それは色や形のバランスだったり、光と影のハーモニーだったり。
これらの景色をあつめれば、お気に入りの街ができるのかもしれません。
そんなことを思いながら、お気に入りの景色をCollectionするために、私は街を歩き続けます。

早く安心して過ごせる日が来ることを願いつつ。
 2022年3月

講師総評
姫野希美ゼミナール2021年 大阪校

私にとっては初めてのリコーのゼミナールでしたが、共に写真を囲んだみなさんのお陰で、とても豊かな時間になりました。
ここには、撮影した写真を見ること、話すこと、それがまた新しい写真を生む原動力になるという根源的な循環があり、その過程こそが得難い経験だったと思います。互いの作品を尊重し、それぞれの視点で語り、投げかけ、具体的な推進力につながると同時に、写真とは何か?、その可能性について折々に話が弾んだことも忘れ難いです。
このゼミは、写真集制作を目指して実際に構成やデザインなど段階的なテーマを設けていましたが、それはスキルとしてのものではなく、あくまで作品に還元されるものでした。そうした、ある意味ではややこしい時間を楽しみ、実り多いものにしてくれたみなさんに感謝しています。真摯に制作に取り組んでこられ、他者の作品にもじっくり関わることができる力を、みなさんが既に持っていたのです。

今回、最終的に写真集の形に仕上げたひとも、その手前で多くの写真を見出したひともいます。どちらにしても「完成」ということではなく、まとめようとするがゆえに湧き出す、より多くの疑問や悩みと向き合い、これからをより充実させていただけたら嬉しいです。
このゼミは、誰かが誰かに教えたり評価したりするものではなく、共に写真を囲み、それぞれの制作に働きかける貴重な「場」でした。いったん修了展とはなりますが、この場が形を変えながら続いていくことを願っています。また、写真を挟んで、写真を通してお会いしましょう。

Deer Planet~鹿の惑星
石井 陽子

11年前の春、久しぶりに奈良を訪れた私は、カメラを手に早朝の街に出た。そこで見かけた威風堂々とふるまう鹿たちは、街の主のように見えた。
奈良の鹿は神の遣いとされている。一方、多くの地域で鹿は害獣だ。同じ動物の扱いがこれほど違うのは人間の都合だ。
今、日常を揺るがす出来事が世界中で起きているが、鹿は人間が引いた境界線を軽やかに越えて生きている。そんな姿をレンズ越しに見ると、そこには「鹿の惑星」が広がっている。

Website:
http://www.yokoishii.com/

とびらをひらく
大坪 弘武

3つのとびら、、
①Facebookで見かけた里親募集の投稿、ウェブスターと出会う。
②姫野ゼミの申込開始時間、急いで応募した瞬間。
③印刷が仕上がり、初めて写真集を開く時、かすかなインクの匂いととともに、心の奥、深いところに何かが生まれた。

そして今、次の写真集?ウェブスター3部作の企み。
ささやかなパンドラのとびら。

マチネコ
河井 蓬 (Kawai Yomogi)

猫は人の生活の傍にいながら、使役されることもなく近代まで生きてきた。
街を上下自在に駆ける野良猫を目の当たりにすると、人よりもずっと街に適応しているとさえ思う。

しかし近年、野良猫を愛玩動物と定義し避妊去勢と保護・給餌をセットとした活動が多くの都市で行われている。
生殖機能を失い一代限りの生を与えられることで、多産多死と世代交代による生存戦略は成り立たなくなった。

今、多くの街で野良猫は袋小路に追い込まれ、数を急速に減らしている。

Akitoshi Sasakura

ゼミに参加したことで、自分の表現したい事の為に
写真をどう並べるか、更にどんな写真を撮るべきかがより明確になりました。
3年間撮り進めてきた写真を元にして、じっくりと時間をかけ写真集としてまとめることができました。

PHANTOM
多田 洋

都市が変化をする速度は一定ではない。
ある地点ではまるで生き物のように、常に目まぐるしく変化をし続けている。
一方で、別の地点ではそうした動きが緩やかであったり、場合によっては止まってしまったかのようにさえ感じる。
何かのきっかけでスイッチが入り、止まっていた時間が動き始めたかのように突然、急激に変化をする場合もある。

都市を流れる時間の中で自分が存在する時間は、ほんの一瞬のことなのかもしれない。
それでも、その瞬間に感じた都市の蠢きを記録していきたい。

家族旅行
仁田原康人

小学生になったら、友達といっぱい遊ぶかな。
中学生になったら、部活が忙しいかな。
高校生になったら、彼女・彼氏ができるかな。

いつまできてくれるかな?

Homepage:http://baru-foto.com/
Contact:http://baru-foto.com/contact

『刻』 覧古考新
蓮井 豊

この写真集で伝えたいのは、「覧古考新」である。これは、古きことを覧みて、新しきを考えることである。大阪・堺は、刃物文化の街でもある。この匠たちの技や息遣いを撮影する間に、写真が時間を刻めるかもしれないと気付いた。それこそが、土地の記憶になると信じる。写真を通して、誰かの思考に働きかけて、触媒になれば何かが変わるかもしれない。それゆえ、写真の力を信じて、写真を撮り続ける理由でもある。

コメントは、こちらへ:
https://bit.ly/3HTHMJH

【汀線】
堀内 朱美

具体的な展望のない、漠然とした期待からのスタートだった。
ゼミで頂く意見を思い返し、途方に暮れながらも自分の撮ってきた写真と向き合い、気が付けば夢中になっていた。
私の中の雑多なイメージから掬い上げたのは「汀線」。
水と陸の境目。絶えず変動するもの。
ここから見える世界が好きだ と、気づけたのがうれしい。
これからも汀線から見える惹かれる瞬間を探し続けたい。

50㎝
水池 葉子

目に見えないけれどそこに存在する何かを写真に収めることは、写真家にとっての大きなテーマの一つではないでしょうか。
今回の作品では「写真に写らないものを写真集で表現する」ことに挑戦しました。

ポートフォリオサイト:
https://mizuike-yoko.amebaownd.com

森 英夫

私は歩み始める、

名しか知らぬ彼と、

何とも解らぬ衝動と。

講師総評
大和田良ゼミナール2021年度 オンライン

年間を通したゼミでは、はじめの数ヶ月は写真史を俯瞰しつつ、それぞれの受講生が今までに触れたことのないテーマや被写体、撮影技術に取り組みます。その中で得られた新しい技術や考え方を元に、ゼミ後半で取り組んできた制作が、今回の修了展示作品に繋がっています。

このゼミで大事にしているのは、作品を完成させることではありません。その制作に取り組む発想やアプローチ、そしてプロセスこそが重要だと考えています。そのため、制作過程の中では必ず失敗があり、練り直しやリトライが求められます。一人一人にどれだけ良質な失敗を重ねさせられるか、ということが講師である私の課題であるとも言えるでしょう。

ですから、今回展示されている作品群は、単に何らかのモチーフが写されている写真ではなく、受講生それぞれの写真に関する考え方や姿勢を反映した、イメージとなって立ち現れた表現であると私は思います。作品をご覧頂いた皆様には、その作品をなぜ作ったのか、どのように写そうとしたのか、是非作品や作者と対話しながら豊かに読み取って頂ければと思います。

ピクチャレスク東京
オオニシアマネ

都市空間が偶然作り出す光と影の造形には絵画のような美しさがあると思います。

撮影場所:西新宿「SOMPO美術館」
撮影日 :2021年10月
カメラ :RICOH GRⅢ

【大和田ゼミの感想】
参加者の個性にあわせた大和田先生の課題設定やアドバイスがとても
参考になりました。
一年間どうもありがとうございました。

オオニシアマネ
http://amaneonishi.com/

Ted K

これまで心の赴くままに撮影してきました。大和田良ゼミナールでは、
いろいろなアドバイスをいただきました。

いろいろ試行錯誤しながらの一年でしたが、今はテーマを見つけることが
できました。テーマがあるとこんなに違うのかと思うくらい、撮影に対する
考え方が変わりました。びっくりしています。
本当にありがとうございました。

菅野 類

自分一人では踏み入ることはなかったであろう世界への方向性を示唆して
いただきました。

1年間ありがとうございました。

清水 収

いつも自分では視えているが表現できない世界がある。
それが超広角で表現できることに気づいた。特に円や木の根の広がりなど
新たな写真表現の面白さを感じた。大和田ゼミ2年目。
前回は望遠、今回は超広角を模索。奈良原先生・川田先生の写真集を
眺めながら、東京を散策し写真表現に取り組みました。
展示作品(1枚目)はタイルと建物の造形の美しさに魅せられ撮影したものです。
2年に渡り大和田先生・スタッフ皆様の努力により無事受講でき嬉しい限りです。
ありがとうございました。

黒 の 記 憶
清水善規

引き出しの中や本棚の奥、はたまた防湿庫の片隅に追いやられていたものたち。

愛用していた頃の情景を思い出そうとしたが、はっきりと思い出せない。

記憶とは、部分的、断片的で色も無いものなのかもしれない。

写真でもあれば蘇るのかもしれないが、それも残っていない。

おぼろげな記憶を忘れ去られていたものたちに載せてシャッターを切った。

杉本久美子

『この世の全ては何一つ無駄はなくて、繋がり影響し合っている』という話を聞いたことがある。だとすれば、起きている様々な出来事も意味があるのだろうか・・。
別々の場所で撮った写真が並ぶことで生まれる世界を眺めながら、ふとそんなことを考えた。

2枚での組み写真という課題から、その間にある『何か』を深く表現しようと努めました。まだまだ浅い解釈ですが、朧げに何かを掴みかけたような気がしています。

田口浩昭

私は、今までとは違った作風の写真を撮れる様になりたいと思い、大和田良ゼミナールに参加しました。
ほかの参加者の皆さんの写真を観て圧倒されて自分が小さくなった気持ちになりつつ、講師から出された課題に取り組みましたが、生憎天候に恵まれず焦りながら作品制作に取り組みました。
少しは目標達成に近づけたのかなと思いますが、今後もここから少しづつ発展させていけたら良いなと思います 。
講師の大和田良様、担当の森様、そして他の参加者の皆様、1年間本当にありがとうございました。

Fragmentation
なかがわれいこ

ある日、住み慣れたマンションの取り壊しが決まり引越しを余儀なくされた。

形を失い消えゆく実体は、記憶の積み重なり中にのみ残されることになる。

実在したものへの愛着を写真記録の積み重ねに置き換えて、いずれ記憶が

断片化しデフォルメされ変形していく様を作品とした。

“Horizons”
萩生田 美樹

Inspired by Sze Tsung Nicolás Leong.
大和田先生は受講生ひとり一人にお手本となる写真家をご提案下さります。
私にはSze Tsung Nicolás Leongという写真家を紹介くださいました。
それまで名前も聞いたことのない写真家でしたが、ネットで彼の作品を検索し、“Horizons”という作品集に心惹きつけられました。
彼の作風を真似してみることから始めてみました。そして私なりに行き着いた
”Horizons”が今回の作品です。

Website:https://twitter.com/mikiphotoluver

講師総評
吉川直哉ゼミナール2021年度 オンライン

吉川直哉ゼミナールへご参加いただきましてありがとうございました。

皆さんはすでに立派な表現者です。表現者の更なるスタートに立ち会うことができてとても嬉しいです。次は発表です。ゼミナールで、写真は発表して人の目に触れることで「作品」になると申しました。皆さんなら心配ないでしょう。そのために、その写真が着る”服”を選び、その”髪”を少しだけ整える必要があるかもしれませんが、ぜひ堂々と発表してください。毎回のゼミナールでは、皆さんの写真を拝見できることがとても楽しみでした。輝く個性いっぱいの世界がどんどん広がっていきました。一つだけ私の反省ですが、もっと色々とお話しをしたかったものの時間がいつも足りませんでした。ですから、皆さんとどこかで写真を通して再会することを楽しみにしています。お疲れ様でした。

新しい表現者の更なる門出をお祝いいたします。

光と影のシンフォニー
梶原 淳治

コロナ過で身近な場所で撮影する機会が増えたので、新たな刺激を求めて吉川先生のゼミを受講しました。
光と影をテーマに、当初はビルを主体に撮影していましたが、吉川先生のアドバイスにより建物にこだわらず植物等を加える事で変化をつけました。さらにタイトルを決めた際、光と影と音楽の共通性に気づき、32枚の写真群を交響曲に見立てて構成することで新しい写真の見方の提示ができたと思います。
今後も継続して質の高い作品を撮りためていくと共に、別の引き出しにある作品も視点を変えて見直していきたいと思っています。

光の中の闇、影の中の光
神威 惟明

全く予期しない突然の裏切りによって、私の人生は大きく変化した。その直後に世界中に広まった新型コロナのパンデミックの波が、私たちの欲望の飽くなき追求と、「あらゆるものの最適化の先に待っているものは何か?」という自分が予てより持っていた疑問を強く意識させるきっかけになった。進歩主義は私たち人々の内面と社会に何か巨大な廃墟のようなものを生み出したのではないだろうか?私は専ら撮影可能な時間帯が夕刻から夜間に限られているが、この作品においては、その制約によって、私は薄明かりの中で探していたものの正体のようなものに少しだけ近づけたような気がする。

Instagram:
https://www.instagram.com/kamui_koreaki/

たゆたう
久保田 幸子

ステイホームの2021年。
スナップを撮る機会が減った私は、新しい被写体として部屋に飾られた花を手に取った。
花が散る瞬間を撮りたかったのだ。
それを表現するため、花びらを長時間露光で撮影してみた。
そこに写し出された揺らぎは思いがけない美しさを与えてくれ、幻想的で儚い写真となった。
綺麗に咲き誇る花はいずれ散るが、最期まで美しくあってほしい。
儚いからこその美を見ていただけたら幸いです。

小暮 希

ゼミナールで行ったセルフポートレートのテーマが面白かったので、作品として提出しました。最後の展示会に向けて写真を印刷し、額装を考えて完成させるという新たな経験をしました。展示会の準備にあたり、近所にいい写真屋さんを見つけたので今後も利用したいです。吉川先生やゼミ仲間の皆さんのお名前・作品との再会を楽しみにしています。写真のモチベーション維持のために、ねこスタグラムをやっています。

Instagram:
https://www.instagram.com/toy8a7ela/

“DOUBLE A-SIDE”
迫田 肇

展示の写真(高速道路)はタイトル“DOUBLE A-SIDE”のコンセプトになった作品です。自分の写真を俯瞰していた時、時間や場所など条件が異なる写真に意識的、無意識に作られた見えない関係性が存在することに気付きました。この関係性で2枚の写真を結合し、私の内面に潜在する意志を表現したいと考えています。
ゼミは修了しましたが、近い将来、作品を発表出来るように、活動を続けたいと思います。吉川先生、1年間ありがとうございました。

生活の断片
鷹野 裕

カメラには、それを手にした者に「日常の風景を記録しておかなければ」というある種の使命感をもたらす、魔力のようなものがあると思います。
その魔力に導かれるまま、日々の生活の中で通り過ぎていく「少し気になる瞬間」を漫然と記録してみました。

河原で石ころを拾い集めるのと同じく、取るに足らない行為ではありますが、こうして拾い集められた生活の断片には、そこで日々を送る人間の命の欠片が宿っているような気もします。

Higan
西岡さと子

ある光景が私とカメラを使って自撮りをする。
そんな時私は此岸と彼岸の間に立っている。
私自身の意思ではない、何かもっと超然的な流れに従うようにシャッターを押している。
湿り気に満ちた此岸から透けて見える向こう岸は渇いたhiganとして静かに存在を啓示する。

もう一人の自分
古川 義則

自分の中にもう一人の自分がいます。人を見ている自分。風景を見ている自分。仕事に行く自分。何かをしている自分。そして自分を見ている自分。また私たちはいつも自分に気がつき、また自分を忘れてしまいます。自分が自分であるためのアイデンテティを考えていくことをテーマとしています。

ゼミを受講してセルフポートレートに関心を持ちました。吉川先生のアドバイスが的確で、写真について考えるきっかけになりました。さまざまな写真集を見て作品を観る眼、また作品として見せることの意義、考え方、方法等を学ぶ機会になりました。ありがとうございました。また事務局の西村さんにもお世話になり、ありがとうございました。

益山 徹子

ゼミナールでは、草木の中の自分自身のポートレートに取り組んだ。それらは、被写体と一体化してしまった私自身のイメージだ。影や体の一部のカットでは、どんなに近く寄ったとしても私はいつも「こちら側」から被写体をみつめており、被写体とは埋められない距離がある。完全に「あちら側」になった自分を写したいと思った。草木を遠くからみつめ始め、とうとうその中に飛び込んでしまうに至るまでに、緩やかに覚醒した、自分の心の変化を記録した。

彼と夜と
安原 佳苗

写真が好きなはずなのに、ときどき写真を撮ることがつらくなる時があります。なぜ写真を撮るんだろう?とか思う日があったりして。でもまた、いつの間にかカメラを手にする自分がいて・・・そのくり返し(苦笑)。
今回のゼミナールで、いろんな被写体をいろんなテーマで撮影することで写真との向き合い方を見直すきっかけをいただけたことはとてもありがたかったです。
吉川先生、ご一緒した皆さま、1年間本当にありがとうございました。

フォトアカデミーTOPへ

ページトップへ