• ブランド
  • 製品
  • ストア
  • フォトアカデミー
  • コミュニティ
  • サポート

K-3 Mark III Impressions

藤里 一郎

朝、たっぷりの陽の光を感じながら目覚める。
なんて幸せな時間なのだろう。
そのままホテルの大きな窓際へと誘われ、光で溢れる外の世界を感じる。

smc PENTAX-FA 31mmF1.8AL Limited F1.8、1/8000秒、0.0EV、ISO125、曇天、ほのか

窓越しの景色、それはまさしくファインダーの世界だ。

そう、K-3 Mark IIIのファインダーを初めて覗いた時に思い出した感覚だった。

いまなぜ一眼レフなのか。レフ機の持つ光学ファインダーがなぜ魅力的に感じるのか。
写真を撮るという行為はそもそも、簡単な事はなくすべて「お作法」のもと成り立っていた。

フィルムを装填する、ピントを合わせる、シャッタースピード、絞りを合わせる、実に面倒な事ばかりだがそんな面倒は当たり前だった。そして自分の眼と感覚を信じ、マニュアルでピントを追い求める。より明るいファインダースクリーンを選んだり、スプリットイメージが鬱陶しくて全面マットにしたものだ。ピント合わせが上手になるか否かは、ファインダーを覗いている時間と比例するようで、片時も肌身離さずカメラを持ち、覗いてはピントを合わせ、シャッターを切るイメージをしたものだった。

smc PENTAX-FA 31mmF1.8AL Limited F1.8、1/500秒、0.0EV、ISO100、曇天、ほのか

それがいつしかオートフォーカスなる機能が現れる。このときは単純に自動にピントが合うことに驚いた。え?こんな事って出来るんだ。高校生だった僕がそう感じたのは今でも忘れていない。しかし、そこでオートフォーカス機を手にしたかというと、NO。だって一番楽しいと思っていた「ピントを合わせる」という事を盗られてしまった感があったのだ。そして月日は進みさらにAFは進化する。単にピントが合うという事からより精密に、いや緻密に合わないといけない、そんな方向に流れてしまう。いつしかAF精度が上がると共に、AFを使うが故の「ファインダーのおろそか感」が襲ってくる。カメラからはマニュアルフォーカスは使わうなと言われているようで、写真家としてはずっと我慢をさせられてきた気がしていた。

我々写真家は新しいカメラに触れた時、このカメラは自分のイメージの延長線上にあるのか、また視覚の延長線上にあるのか、瞬間的に判断を下す。それによりたえず寄り添う相棒として存在できるのかが決まるのである。今回このK-3 Mark IIIを触った瞬間、時が遡った気がした。そう、カメラが楽しい、そして面倒くさかったあの時に。しかし決して古くさくはないがカメラ然とした佇まいに、まるで「どうだい?触ってみるかい?」とカメラから話しかけられた気もした。そしてある程度の重さというのもカメラには必要な事でもある。軽すぎると不安な部分と、小さすぎても握りにくさがある。そのどちらもちょうど良いという事が日々持ち続けられるかに直結するのだ。そして絶妙なボディサイズに仕上がったことは、APS-Cの恩恵もあるのだと思う。

未だにフルサイズかAPS-Cかの論争は各地で繰り広げられているが、そんな事僕にとってはどうでもいい。もちろんフルサイズのボケ方は独特なものもありもちろん魅力はあるのだが、データサイズの大きさや、ボケすぎる事から少し絞るとなると「レンズの味は開放が一番いい」と感じている僕には選択肢から外れる事もある。
PENTAXのAPS-Cフラッグシップ機と謳われており自信がうかがえるあたりも、そそるポイントなのだ。

smc PENTAX-FA 31mmF1.8AL Limited F1.8、1/640秒、0.0EV、ISO100、日陰、ほのか

握り具合と重量のバランスがとても良いということは、次に求める事はシャッターフィーリングだろう。大きく噛みつくようなシャッター音はどうも好きになれず、女性にカメラを向けることがほとんどの僕にとって、小気味よくシャキシャキ切れるシャッターは必要不可欠だ。連写こそ使わないが単写で大量にシャッターを切っていくことにもしっかり応えてくれる。また少し囁いているかの様な丸みのあるシャッター音も非常に心地よい。

僕のあらゆる感性と感覚にしっかりと寄り添ってくれる印象のK-3 Mark IIIは、お作法と呼べるものは少なくはあるが、最高レベルの光学ファインダーをひっさげて僕の元に来た。
こんなにもピントを合わせる事が楽しくなる日が訪れるとは思ってもみなかった。

smc PENTAX-FA 31mmF1.8AL Limited F1.8、1/400秒、0.0EV、ISO100、日陰、ほのか

このカメラはある意味写真という行為を始めたあの日に帰る事が出来る、タイムマシンなのかもしれない。

Ichiro Fujisato
藤里 一郎

Ichiro Fujisato

藤里 一郎

1969年生まれ。 男っぷりのよい写真、色香あふれる写真を撮る当世一“Hip”な写真家。
東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業後、大倉舜二氏に師事、96年独立。以降フリー。 アーティスト“May J.”のコンサートツアー・オフィシャルフォトグラファーとして活動するほか、人気作家・“伊坂幸太郎”の「死神」シリーズのカバー写真をてがける。 2018年度、カメラ雑誌「月刊カメラマン」40周年記念年の表紙を1年間担当し、また、2017~2018にかけてラジオパーソナリティとしての経験も持つ。
書籍として日本写真企画刊「ポートレイトノススメ」も出版している。 また女優・鎌滝えり、アートディレクター・三村漢との10年間毎年写真展を開催するプロジェクトも進行中。年間10本もの個展を開催しリピーターの多い写真展として認知される。2019年新たなシリーズとして「おんな」も始動、新たに「おんな」というジャンルにも挑戦をはじめる。

写真家藤里 一郎オフィシャルウェブサイト

ページトップへ