寝ているときに見る夢はカラーかモノクロか、という話題がたまにあがる。テレビがモノクロだった世代は夢もモノクロになりやすいとか、夢や脳内で見る映像は本来誰しもモノクロで、思い返すときに色を補完しているといった説を聞いたことがある。
そのためかどうかわからないが、自分にとってはカラー写真よりもモノクロ写真のほうが、夢や記憶との接続がされやすいように感じる。色がないのに、時にカラーよりも雄弁で、色がないからこそ影の中の光が見える。
私の夢や脳内映像はいつでもモノクロである。あとから色をつけることも難しい。それらの断片に、片肘が触れるような写真が撮れたらと思う。
Photo&text Kazuhei Kimura
世界を飾る色彩をあえて剥がし、黒と白、そして無数のグレーで写真を撮ることに、なぜこれほど魅了されるのか。引き算をすることで露わとなる世界の表情に、フェティシズムのような微かな揺らぎを覚えているのかもしれない。
真っ暗な路地裏で粒のように光るガラスの破片。寝室のドアの隙間からこぼれる一筋の光線。光に触れられてはじめて、その存在が確かに現れる。黒いキャンバスの上に白いクレヨンで絵を生み出すようなイメージ。光で描く。その原初的な感覚を、理論的にも感情的にも、この視覚的世界の在り方をシンプルに思い出させてくれるのが、モノクロ写真ではないだろうか。
思い返せば、GRで初めて撮った一枚はモノクロだった。というのも、モノクロでかっこ良くストリートスナップを撮りたくてカメラを探していた折に、たどり着いた答えがGRだったからである。
Photo&text Tomas H. Hara
光と影のレイヤーだけで像をつくり上げる、それはまるで魔法のようだ。広い絞りとボケに依存する代わりに、グレーのレイヤーを複数用いて目の前の光景の異なる部分を分離させる。明るい部分と暗い部分、あるいは暗い部分と明るい部分のコントラストを見出す。邪魔になる色も目立ちすぎる色もない。像のなかにある感覚と伝えたい物語に完全に集中できる。モノクロフィルムやモノクロセンサーで撮影することは専心であり、これらすべてのレイヤーを見分ける訓練をさせてくれる。無作為に撮りまくって後からカラーかモノクロか決めるようなことはできない。その選択肢をあえて剥ぎ取ったとき、魔法が解き放たれるのである。
Photo&text Rikard Landberg









