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日本に写真の時代をもたらした
  リコーフレックスIII (1950)

日本のカメラの普及のキッカケ
 敗戦日本の何も無い時代に、必要機能をしっかりそなえたカメラとして現われました。まともなカメラは2万円以上でしたが、リコーフレックスは6千8百円の価格が爆発的人気となり、定価販売の銀座三愛の前は地方から買い出しに来る人までの行列ができました。 町中ではプレミアムがつき、1万1千円で売られたこともありました。このカメラが 日本のカメラの普及のキッカケを作ったことは、歴史に語られるようになりました。

合理的構造と簡易方式でローコストに
 リコーフレックスは6×6cm判、この時代の標準的なブローニーフィルムを使って12枚の撮影ができます。この画面サイズのカメラはピント合わせを精密に行わねばならず、これが写真失敗の大きな要因になっていました。リコーフレックスはピント合わせに間違いのない二眼レフ方式を採用していますが、一般に二眼レフは3万円前後と高価でした。これを合理的構造のボディと、撮影レンズとファインダーレンズのフォーカスリングをギアでかみ合わせて連動するという簡易な方式を採用してローコストにしました。

 また、リコーフレックスのIV型と同時期くらいに発売された 「リコーキン」を装着することによって、リコーフレックスで35mmフィルムを使うこともできました。

カメラ生産の基本方式に
 このカメラの大量生産をこなすために、リコーは日本のカメラメーカーではじめてベルトコンベヤによる組立と、生産のための部品手配方式を確立して需要にそなえました。このカメラ生産方式が現在の日本やアジアでのカメラ生産の基本になりました。
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