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戦争とカメラ

 第二次世界大戦に突入し、日本と米国・英国との関係が悪化した。
当時の日本政府は「敵性語」ということで英語の使用を制限した。
 学校での英語授業の廃止や、スポーツ用語を日本語に入れ替えさせるなどの手段を採った。
 商品のネーミングも英語に似た表現はやりにくい空気になっていた。
このときの日本の同盟国はドイツとイタリーであったので、ドイツ語を使うことは歓迎された。このためカメラのネーミングもドイツ語が使われている。
 ある意味では営業活動をしやすくするための迎合であったと言える。今日からみると異常な時代であったことがわかる。軍国主義を反映したカメラのネーミングは。

  • (*機種名をクリックするとカメラリストのページが新しいウィンドウに表示されます。)
アドラー (ドイツ語で「鷲」の意)
ハイル (ドイツ語で「幸運」の意)
キンシ

(金鴉、日本の神話に出てくる金色のカラス、
日本精神の高揚の話として使われた)

ゴコク (護国)
セイカ (精華)
チューコン (忠魂)
ガイカ (凱歌)  など。

それまでのユニークなオリンピックカメラから、戦時体制下の理研光学では、
オリジナリティは消えてしまいドイツ製品のコピーの購入品ばかりになった。

 英語が使えなかったため、カタログの表紙はドイツ語で HAUPT KATALOG と書かれている。 右はオリンピックカメラの広告。

総合カタログ 1935年

オリンピックカメラの広告 
1940年 アサヒカメラ
1939年に政府はインフレ防止のため、9月18日付の価格をそのまま停止する命令を出した「停止価格」である。
そこで各社とも少し変えて新製品を発売、停止価格から逃げる算段をした。そこでこんどはカメラをいくつかの品種に類別し「公定価格」が設けられた。
これがまた品種を増やす要因になった上、物が足りない場合のヤミ価格の横行がはじまることになった。

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