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いつでも自分の傍に置いておきたくなる。時間の許す限り手に取っていたくなる。そんな、特別なカメラ。

自分の好きなものを人に伝えることができるのは、なんと幸せなことだろうか。特に強いこだわりを持った相棒のような存在を自慢したくなってしまうのは、きっと人の性なのだろう。苦楽を共にした思い入れのあるギター然り、ひたすら歩き回って探し出した特別な万年筆然り。
人は、自分にとっての“特別”を求めている。PENTAXのカメラは、私にとってなくてはならないものであり、隙あらば自慢したいと思うことのできる、特別な存在だ。美しくも堅牢性の高いフォルムのデザイン、夕方や夜間を撮影する者の気持ちを考えてK-1シリーズの手元周りに配置されたLEDライト。
カスタムイメージや様々な機能は使えば使うほどに、「新しい作品を生み出せそうだ」と思わせてくれる。緑や青の表現が美しいということはよく知られていることだが、私の作品から感じていただけるように、カスタムイメージを駆使して細かく調整すると他の色もさらに印象的で深みある色彩が得られる。
絶対的な“こだわりの塊”それがPENTAXのカメラである。

その日もいつもと同じように、相棒の黒蔵(ジムニーシエラ)の中で目が覚めた。結露した窓の外では、闇夜に溶けていた光が少しずつ少しずつ輪郭を取り戻してゆく。
ゆっくりと森の中に光が満ちる様子をしばらく眺め、外に出て深呼吸をしてみる。朝を告げる鳥の声が、どこからともなく聞こえてきた。

淡い光を帯びた薄暗い森の中を、寝ぼけ眼で進みながら撮影する。いつの間にか霧が辺りを包み込んでいた。行先を惑わすかのように、霧は妖艶に踊りながら木々の間を満たしてゆく。不安はなく、不思議な高揚感が心の中に生まれた。

この光景を写真として切り取れることに特別さを感じながら、霧に誘われるように森の中を彷徨い歩く。そこには非日常的で、幻想的な空間が広がっていた。

写真1:写真を撮る上で重視していることは、光による空間・立体の構成を、いかに写真という平面上で行うかという点である。被写体に捉われるのではなく、被写体を取り巻く空気ごと切り取ることにより、その場の印象や臨場感をより深く表現することができる。手順としては、被写体を探す以前に、まずは光を探していく。そして、美しい光を見つけ、その中にある一番見せたいものを周りの空間ごと切り取る。

小さな雫をつけて濡れた苔の上を歩く蟻達も、この朝の訪れを喜んでいるのだろうか。やがて気温の上昇と共に霧が少しずつ晴れていき、森全体の姿が見えてきた。

光が差し込み、視界の先では木漏れ日が散りばめられてゆき、先ほどまでひっそりと隠れていた花々がその可憐な姿を披露してくれる。昨日の夕方は小さかったキノコがいつの間にか成長した姿を見ると、一見静かな森も常に変化し続けているのだと学ばされる。

圧倒的でも、驚くような瞬間でもない、森に入れば当たり前に落ちているその光の一つ一つが特別で美しい。

写真2:時間が経つにつれて明るくなる森に合わせ、ISO感度を下げていく。カスタムイメージ内のキーを用いて中間光量を調整しハイライト部分を際立たせ、構図の中で光の繰り返しを意図的に強調し、組み上げていく。カスタムイメージのパラメーターを調整することにより、難しい条件下でも自分のイメージを作品に落とし込むことができる。

どうやら、この森にもすでに秋の風が吹いているらしく、ところどころで木々の葉が顔を赤く染めていた。巡る季節の流れの中で、ファインダーを繰り返し覗き込む。この幸せは、写真を撮り続ける限りずっと続くのだろう。

特にPENTAXのカメラのファインダーは、階調豊かな自然の光をありのまま視認するという、光学ファインダーならではの喜びを与えてくれる。たいしたことがないように思えるかもしれないが、この喜びを得られることは写真を学び撮り続ける上で、とても重要だと私は感じている。

そんなクリアで美しい光学ファインダーは、繊細な光や影、微かな色の移り変わりを見逃すことがない。この“目の前にある光や色彩”をリアルに感じ取り、それを基点にして自らの頭の中で“完成図”を描くからこそ、最高の1枚にふさわしい表現に辿り着けるのではないだろうか。

もちろん、イメージを具現化するには、カメラの画づくり(カスタムイメージのハイライト・シャドー・キーなどのパラメーターの効果)を正しく把握しておく必要がある。想い描いたイメージと実際の表現を一致させる鍛錬を繰り返すことで、自分の中の完成図に限りなく表現を近づけることができる。そして、それができたときには、あらゆる状況で思いのままに自分らしい作品を生み出すことが可能だ。

写真3:縦構図は難しいと認識されがちだが、奥行き感を表現しやすいため私は積極的に使用している。細かい光を見つけることも大切だが、空間を見る際にまずは光と影の大きな繰り返しを把握できるようになると、構図の取り方が楽になる。また、大きな光を見つけることができれば、空間自体を被写体とすることが可能となる。

私は森の光を中心に撮影をしているが、たとえ遠い場所に赴くことが叶わずとも、ふと顔をあげるだけで作品となり得る光景が幾らでも広がっている。光は、身の回りに満ち溢れている。
森の撮り方も身の回りの撮り方も光の使い方は共通しているため、どこであっても同じ考え方で撮影することが可能だ。
次回は、そんな身の回りの美しい光の見つけ方を、作品を通して伝えさせていただきたい。

写真4:森に行くと、当たり前に目にするこれらの光景。切り取り方次第で、その美しさをより際立たせてあげられる。

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