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フォトスポット Vol.11
安治川左岸を上流へ ~中編~

こんにちは。スクエア大阪の伊藤です。不定期ではありますが、昨年9月から始まった大阪港湾エリアのフォトスポット巡りも今回で4回目。私もこんなに長くなるとは思いませんでしたが、撮れば撮るほど、歩けば歩くほど深堀りしたくなるのが撮り歩き。もしよろしければ、バックナンバーもご覧になってください。
1回目:2020年9月18日「フォトスポット Vol.8 大正駅~我が故郷港区池島」
2回目:2020年10月16日「フォトスポット Vol.9大阪港周辺」
3回目:2021年2月26日「フォトスポット Vol.10安治川左岸を上流へ ~前編~」

今回も先月に続き、大阪市港区と此花区を隔てる安治川沿いを上流へ向かいます。

先月は、大阪港から安治川隧道までのフォトスポットをご紹介しました。昭和の香り漂うレポートとなりましたが、今回は江戸時代へと歴史を遡ります。

【九条と西九条 ~始まりは江戸時代~】
地元大阪にお住まいの方や、鉄道に詳しい方はご存じだと思いますが、大阪市内には「九条」と名の付く地名(駅名)が2か所あります。西区にあり、大阪メトロ中央線と阪神なんば線の駅がある「九条」、此花区にあり、JR大阪環状線と阪神なんば線の駅がある「西九条」です。でも安治川という大きな川を挟んで同じ「九条」という地名(駅名)があることに不思議な感じがしませんか?この理由、なんと江戸時代前期まで遡ります。

(写真左)此花区西九条駅と(写真右)西区九条駅。
付近の地名もそのまま西九条と九条です。

大阪を代表する河川である現在の淀川は、明治時代に新たに掘削されたものです。当スクエアのあるOMMビルの目の前を流れる大川が、本来淀川と呼ばれた川でした(古地図はもちろん、現在の地図にも「旧淀川」と併記されています)。この大川(旧淀川)の河口に付近にいくつかあった島(三角州)の一つが「九条島」です。淀川流域は昔から人口が多く経済活動も活発でした。江戸時代前期は大坂が「天下の台所」と呼ばれるまでになり、国内の商業の中心地としてさらに発展していきますが、何度も水害に悩まされるようになります。その水害の大きな原因となったのが「九条島」。旧淀川の河口を塞ぐように位置していたため、大雨の際に水流を妨げるだけでなく、流木などが九条島に積み重なって洪水を引き起こしていたのです。そしてついに1674年(延宝2年)、大洪水が発生してしまいます。そこで幕府は江戸初期の政商で、土木・建築事業で大きな実績があった河村瑞賢(1618年~1699年)を大坂に派遣。瑞賢は水害対策の一環として「九条島」を切り開き、淀川の流路を直線化するための新しい川「新川」を開削します。

新撰増補大坂大絵図 (大阪古地図集成 第4図 元禄4年(1691)刊)。
地図左側やや下よりに「九条島」と記された島が2つある。
その2つを隔てる「新川 幅四十間」と記された川が、現在の安治川。
引用:大阪市立図書館ホームページ デジタルアーカイブ
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=map&pkey=r1004001)より

この新川と呼ばれる川は、やがてこの地が安らかに治まるように「安治川」と名を変えて、東西に分けられた「九条島」には、それぞれ「九条」と「西九条」という地名が付いて、時代とともに発展していくこととなります。

文政新改摂州大阪全図 (大阪古地図集成 第12図 文政8年(1825)刊)。
最初の地図とは方位が変わっているので見にくいが、
地図右側中ほどに「安治川」と「九条村」「西九条村」の記載がある。
引用:大阪市立図書館ホームページ デジタルアーカイブ
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=map&pkey=r1012001)より

安治川隧道から上流にさかのぼっていくと、昭和の雰囲気が漂う風景が続きますが、15分ほどで小さな緑地が見えてきます。ここに河村瑞賢の功績を称えた「河村瑞賢紀功碑」が建っています。

(写真左)右側に見える小さな緑地に「河村瑞賢紀功碑」がある。
(写真右)「河村瑞賢紀功碑」。思った以上に大きい。
大阪城築城の際に川に落ちてしまった「残念石」を使っているとのこと。

「河村瑞賢紀功碑」から安治川左岸沿いの道路をさらにさかのぼっていくと、途中には使われなくなった荷揚げクレーンや古い倉庫、廃墟などが残っており、なかなか雰囲気がある風景が続きます。ただこの辺り、道幅が狭いうえに裏道のため車が飛ばしてきます。また日が暮れると人通りが極端に少なくなりますので気を付けましょう。

ここから先は、幕末から明治・昭和初期の遺構や名残が見られるのですが、結構ボリュームがあります。すみませんが次の機会ということで。

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