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フォトスポット Vol.8
大正駅~我が故郷港区池島

こんにちは。スクエア大阪の伊藤です。先日、入江泰吉記念奈良市写真美術館で開催中(会期8月29日(土)~11月15日(日) 休館日はHP参照)の写真展「妹尾豊考写真展」に行ってまいりました。特にテーマの一つ「大阪環状線 海まわり」は、昭和から平成をまたぐ時期の大阪市港区・西区・大正区・此花区といった、大阪港湾エリア一帯のスナップ作品なのですが、実はこの一帯は私の生まれ故郷なのです。そこで今回は、大正駅から久しぶりに我が故郷近辺までを歩いてみることにしました。

【JR環状線 岩崎運河橋梁】
JR環状線の一部は元々旧国鉄関西本線の貨物線でした。岩崎運河橋梁は、大阪港の貨物輸送のため建設された大阪臨港線の鉄橋として1928年(昭和3年)に設置され、大正駅を挟んで反対府側にも同じ設計で作られた木津川鉄橋があります。

鉄道ファンに人気の撮影スポット。

【大正区海抜0m地帯&尻無川左岸情景】
大阪港湾エリアは、江戸時代以降に新田として埋め立て開発されたところがほとんどで、その後様々な要因で地盤沈下が進み、その多くが海抜0m地帯となってしまいました。戦後の高潮被害の後、盛り土されたところも多いのですが、大正区三軒家の付近は、高い防潮堤そばまで住宅・工場が立て込んでいて独特の景観が見られます。

尻無川左岸防潮堤の防潮扉が入口の工場。

高低差に注目。

防潮堤の高さに入口がある。

【尻無川水門】
国内ではここと、同じく大阪市内の安治川水門・木津川水門の3カ所のみという非常に珍しいアーチ式水門。戦後何度も大型台風の高潮被害に見舞われた大阪港湾エリアを守るために1970年(昭和45年)に建設されました。アーチ式が採用されたのは、大型船舶の航行を妨げないため。一昨年の台風21号による高潮も受け止めてくれました。しかし大型船舶の通航がなくなったことと老朽化のため、一般的な水門に付け替えられることが決まっています。

この雄姿を見られるのもあと10年か20年・・・。

【甚兵衛渡し】
大阪湾岸エリアにまだ数多く残っている無料渡し船の一つ。尻無川水門のところで述べたように、大阪港湾エリアでは大型船が行き交うため架橋が困難。対岸への交通は渡し船が一般的でした。その後大型船でも通行可能な桁下の高い橋がいくつも架かり、渡し船も廃止が検討されましたが、高い橋は徒歩や自転車での通行が大変ということで、今も渡し船が市民の足として重宝されています。

この渡し船なら所用時間5分。ほかに対岸へ行く手段はここから500mほど離れた国道43号線の歩道を
上り下りしなければならず、少なくとも30分以上かかってしまう。

【大阪臨港線の面影】
2006年(平成18年)4月に廃止(運行停止は2004年11月)された貨物線「大阪臨港線」。その遺構は近年どんどんとなくなりつつありますが、まだわずかに面影が残っているところもあります。

左は数年前まで残っていた運河にかかる廃線跡。今は右のようにすでに撤去されている。

手前の道路側は、かつて貨物線ヤード(浪速貨物駅)で多くの線路が敷かれていた。
かつて活躍していたと思われる荷揚げクレーン。

【大阪市営池島住宅】
1970年前後に整備された市営住宅。数多くの5階建ての鉄筋コンクリートのアパートが所狭し立ち並び、昭和高度成長期の下町の面影が色濃く残っていましたが、ここも老朽化のため建て替えが進んでいます。私の生まれ育った部屋も解体されており、面影が残っているのは子供のころ遊んだ遊具と楠、祠だけでした。

私の家族もそうでしたが、3~4世代が近所で生活している世帯も多かった市営アパート。
左のようにまだ残っている建物も、間もなく姿を消す。

現在は私もまた大阪港湾エリアに住んでいますが、高校卒業後は約20年東京を拠点に生活していました。「妹尾豊考写真展 大阪環状線海まわり」で展示されている作品群は、まさに私が大阪を離れたころの情景です。大阪に戻ってきてからも、時々街並みを撮り歩いてきましたが、「妹尾豊考写真展」を観覧し、改めて故郷である大阪湾岸エリアの魅力に気付かされました。今回ご紹介した一帯もどんどん風景が変わっています。しかし、まだ昭和~平成の懐かしい情景がそこかしこに残っています。次回以降も機会があれば、大阪湾岸エリアの魅力についてご紹介したいと思います。

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