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飯島志津夫追悼写真展に行ってきました 富士山をモチーフに作家活動された飯島志津夫氏の遺作展が山梨県忍野村の岡田紅陽写真美術館で2月9日まで開催されています。今回はその写真展に行ってきましたのでレポートいたします。 低気圧が通り過ぎた1月25日は雲ひとつない青空が広がり、東京からも富士山がはっきりと見えます。富士山に誘われて忍野村行きを思い立ちました。飯島氏は富士山の撮影をするために東京より富士吉田市に移り住み、作家活動をされました。また、温厚な人柄は多くのアマチュア写真家を育成されました。そのひとつにペンタックスファミリー山梨支部があり、今回の写真展を後援しています。 写真展は氏の代表作約50点で構成されています。多くの作品に氏の人柄が偲ばれます。その中の1点に異彩を放つ「昭和最後の日」と題された作品があります。昭和天皇の崩御された昭和64年1月7日の日の出の写真です。おそらく一生に一度出会えるかどうかといった光景です。重く染まった朝焼け、その日を象徴する作品に圧倒されました。富士山の撮影に一生を捧げた飯島氏の「我が富士山 人生に悔いなし」という言葉が入り口に添えられています。また、会場には撮影に使用された67、645、LXほか多数のペンタックス製品が展示されています。 なお、美術館には富士山の作品で有名な岡田紅陽氏の常設展があります。岡田紅陽氏は明治28年の生まれで富士山を世界に知らしめた偉大な写真家であり、富士山写真の創始です。写す心得は現在にも通用するものです。写すことへの精神論を説いています。岡田氏は「富士こそわがいのち」と唱えています。共通するモチーフ富士山に畏敬の念をもって接するおふたりの姿が伺えます。 飯島氏は昭和生まれでカラー作品、岡田氏は大半がモノクロ作品です。撮影機材も展示されていますが、おふたりの装備の相違を見るのも大変に興味深いものがあります。岡田氏の冬の撮影シーンがあります。手拭いの頬かぶりにどてら姿で、その至福に満ちたお顔が印象的でした。会場南側の窓からは富士山を望むことができるすばらしい施設です。飯島氏の写真展と併せて、岡田氏の常設展も是非ご覧ください。 岡田紅陽写真美術館のホームページ http://shikinomori.webcrow.jp/
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