5月8日。友人とお昼ご飯を食べようと築地へ向かって歩いていた。途中、赤信号で足止めされた私たちは「止まって」待っていた。むろん車が来ようと来まいと・・・。その時、赤信号を堂々と渡ってくる旅行者らしき西洋人の3人組がいた。友人は少し怪訝な顔で「どうして赤なのに?」と小さな声でつぶやいた。きっとタイだったらこう言われるだろう「どうして車が来ないのに渡らないの?」と。
4月の半ば。ふと思い立ってバンコクへ行くことにした。目的は特になく、強いていうなら、夏の場所へ行きたい、というぐらいだった。ただそれよりも、とにかくパスポートに出国スタンプを押してもらい、免税店をひやかしながら出発ゲートへ向う、あの時の高揚感が恋しくなっていたのだ。
いつものごとく格安チケットのため、台湾経由でバンコクへ。7年ぶりのバンコクは市内までの空港鉄道が通っていた。気温は37度。レートの悪い空港での両替を済ませると、新しい鉄道に飛び乗った。7年ぶりのバンコクの車内は、日本と同じ光景が広がっていた。それは、スマートフォンを見ている人の多さだった。その数は、日本の電車のそれと変わらない。ただ、車窓から見える景色は南国そのものだった。四方八方に咲き乱れるブーゲンビリア、ココナッツの木、自生しているバナナの木、国王の肖像画・・・。
夕日が落ちた頃、ホテルへ着いた。オシャレとはほど遠い古いホテルだが、それでも20代のときのバックパッカー時代には泊まれなかった「まとも」なホテルだ。簡素な部屋に入ると、まずは、日本のにおいが残っている服を全て脱ぎ捨て、ノースリーブワンピースに着替え、最小限のお金だけを持ってさっそく出かけることに。
道路事情というのは国によって随分違う。信号が赤だろうが青だろうが、タイ人はすいすいと信号を渡ってしまう。それも、車なんて存在していないかのような涼しげな顔で悠々と渡るのだ。私といえば、しおらしく青信号になるまで待ってみるが、追い抜いていく人を見てだんだんと悔しくなくなる。こういう時のコツは現地のひとに歩調を合わせること。彼らが渡るときに、いそいそと隣に並び、何食わぬ顔で一緒に渡れば、ほら、こんなに美しく赤でも!(※良い子のみんなは青まで待って渡りましょう)郷に入れば郷に従う方式で、歩いていくと、にぎやかな通りにさしかかった。両脇にナイトマーケットが並びはじめ、人であふれていた。
タイ人が並んでいるなら間違いないだろうと、晩ご飯を道沿いの屋台に決めた。その勘が当たったのか屋台でいただいたトムヤムクンは今まで食べたどれよりもおいしかった!もちろん、シンハーと一緒に。これぞタイ!あータイ最高!と真夏の夜にテンションも高くなり、酔い冷ましに行きとは違う道を通って帰った。途中、日本人が行く繁華街をはじめて通った。立ち並ぶ日本語のスナックの看板、店の前にずらりと座る露出高めな気怠そうな女性方。北海道アイスクリームからはじまり、ラーメン、トンカツ、つぼ八などあらゆる日本食のお店が連なっている。「居酒屋どうですか~」と呼び込みをしている日本人もいる。
新宿なのかタイなのか。自分がいったい今どこにいるのかわからなくなってきて、クラクラした。今日は初日だし早く帰って寝よう。そう言い聞かせて、様々なものが入り混じったバンコクの「夜の街」から逃げるように帰った。