その日は、よく晴れていた。「落ちたら、死ぬなぁ。」という気持ちがあったせいか、十分には眠れなかった。寝不足のまま、なるべく肌の露出が少ない服に着替え(万が一の時を考え)朝一で出発した。他の旅行者と合流し、四駆の荷台にゆられ山道を登っていく。
30分ほど山道を登ると、飛ぶ場所へついた。標高1500メートルの、見晴らしの良い、ゆるやかな崖だ。レクチャーを受け、順々に空に向かって飛び立っていく。もうすぐ私の番…。飛ぶための装備をつけ、風を待つ。
風帆がぐんと上がると同時に「RUN」という、かけ声が掛かり、パラグライダーを担いだまま崖に向かって走った。そして、崖の際まで走り、「あー落ちる」と思わず目を閉じようとしたところで、ふわっと足が地面から離れ、あっという間に宙に浮かんだ。
標高1500メートルの景色の中に、壁のようなヒマラヤがいた。とてつもなく大きく、とてつもなくどっしりとした山脈がどこまでも続いている。視線を下に落とすと、はるか下の方に湖が見える。水牛の群れや青葉、雲、鳥、さまざまな生き物が目に飛び込んでくる。いつのまにか怖さは消え、「両手をのばすと鳥に近づけるよ」というインストラクターのアドバイスを聞き、手を高く伸ばした。体が軽くなり、飛んでいるようだった。
パラグライダーを終えたその日、山の上の宿へと移った。ポカラの市内から、1600メートルほど上がったところだ。
宿の近くには、小さな集落があり、日用雑貨店や食堂がある。私は、ネパール式「やきそば」をいただいた。すると少年たちが相席してきた。タブレットをタッチしながら、やきそばを食べているので、何をやっているのか聞いてみると、少年が見せてくれた画面には、「パズドラ」のようなゲームが映し出されていた。
少年は私に「こうやって遊ぶんだよ、やってみなよ。」とタブレットを渡してくる。ネパールの山奥で17歳のネパール青年に、パズドラを教わる私…。実に、不思議な気分だ。さらに「facebookやっている?」と聞いてくる。驚く私の横で、お店のママは雨水を貯めたタンクの水を使って食器を洗っていた。
そう、水道もないのに、年がら年中停電ばかりするのに、タブレットはあり、facebookで世界と繋がっている。舗装されていない道路や崖っぷちに立つ商店、寝そべる牛を眺めながら、ふしぎな気分になった。世界はどんどんいびつに、狭くなっている気がした。
その次の日。ヒマラヤを見ようと、5時半に起床した。ベッドに横たわったまま、窓の外に視線を移すと、山脈がうすぼんやりと、でも確実にそこに見えた。日本を発つ前、ヒマラヤに「おはよう」って言うんだ、と決めていたが、いざ心に浮かんだ言葉は「ごめんなさい」だった。かないっこない圧倒的な自然を前にし、自分がずいぶん傲慢な人間に思え、申し訳ない気持ちになった。
刻一刻と変化していく空の色。ただそれを眺めている。東京での日常との違いを改めて感じていた。同じ時代、時間の中で、こんなにも違う生き方があるんだ、と。どれくらい眺めていただろうか。空の色が赤色に染まりはじめたころ、ベッドから這い出し、外へ出た。
私は、ようやく「おはようございます」と言った。真ん中にそびえる、神の山、マチャプチャレ。大げさにいうならば、「こんな朝が存在しているんだ」と思わずにはいられなかった。
山にみとれていると、宿のおじさんがチャイを淹れてくれた。暇そうなので話しかけると「ネパールは山しかないんだよ。海でもあれば、魚が捕れてもっと豊かなのに。」と言うので、笑ってしまった。「山は山でも世界一ですよ。」と私は目の前にそびえるマチャプチャレを見ながら言った。
記憶に残る朝を胸に、旅の終着点、世界遺産の街カトマンズを目指した(後編へと続く)。